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篤姫
今日の朝日新聞に、篤姫の視聴率がなぜか高い、という記事が載っていました。
ホームドラマっぽかったり、青春ドラマっぽかったりして、分かりやすいせいかな、という分析でした。あと、人気者が出ているから、と。
皆さんは、篤姫、見てますか?
私は、毎週連続でテレビを見るというのが苦手で、ほとんど連続ドラマを見ません。まして大河ドラマなんて1年続きますからね・・・。
でも篤姫は見てるんですな。毎週は見れないけど。
大河ドラマを一生懸命見ていたのは、たしか小学校4年生くらいの時に、「太平記」というのを見て以来だと思うのですが。。
毎週見れない・・・というわけで、よりによって家定が亡くなった回を見逃して、悔やむに悔やみきれないところです。。
で、なぜ一生懸命見てしまうのか。
その理由は、私は朝日新聞の記事の説には反対ですね。
篤姫は、薩摩で自由に育ってきたのだけれど、あるとき偉い人(島津斉彬)に見込まれて養女に貰われる。「社会を良くするために、将軍の妻になってほしい。そして、自分が見込んだ人間(慶喜)を将軍の後継者にするのに力を貸してほしい」と言われる。
小さい頃から好きに生きてきた篤姫は、将軍の妻になるためのいろんなしきたりにイライラしたり、生家や幼なじみとの別れを悲しんだり、心揺れ動きながらなんとか将軍の妻になる。
将軍・家定の妻の地位にまで来たからには、ミッションである「慶喜を後継者に・・・」をなんとしても実現しなければ、自分の存在の意味がなくなってしまう。大奥は、慶福という人を後継者にしてほしいと願っていて、なかなか厳しい状態。
家定と心を通わせるまでにも、とても時間がかかり・・・それでもだんだんと打ち解けてくる。
でも、家定もまた、慶福の方が後継者に向いていると言う。
悩んだ篤姫は、じゃあ慶福と慶喜の二人ともに会ってみて判断しようと考える。そこで、会って実際に話をしてみたところ、篤姫もまた、「慶福のほうがいいかも・・・」と思ってしまう。
家定とはだんだん、社会はどうあるべきかという話を深め、理解し合える仲になっていたので、自分の心の迷いを、正直に伝えずにはいられなくなる。
でも、そもそも、篤姫が将軍家に来た理由は、義理の父の願いを果たすためだったわけ。それなのに、中に入ってみたら、違うものが見えてきてしまった。中にいる自分が、心のままに動いたら、義父を裏切ることにもなる。
慶福を推す人にも、慶喜を薦める人にも、それぞれの信念があり、譲れない思いがある。でも、どちらかを決断しなくてはならない。どちらかに決断すれば、どちらかが泣き、裏切られたと感じることになる。
そんな究極の状態で、何を基準に物事を選択するか―。
結局、篤姫がいつも一番大切にするのは、自分がそのとき心に感じた、「このまま進むのは何かおかしいんじゃないかな」という感覚だったり、「私はこれを優先すべきと思う」という感覚だったりするのではないかと思います。
篤姫は義父の望みではなく、夫の考えと共に歩むことを決断します。それは言葉としては、「私は今は徳川家の人間になったのだから。」という言葉で出てきている―これが、ホームドラマと言われた理由かもしれません。でも、ここで出てくる「徳川家」という言葉は、裏返せば「薩摩の家は裏切ることになる」という現実に対する整合性としての表現だったのではないかと思います。
「家」よりももっともっと根本にあるのは、自分自身の存在がここにあるのが、「義父の願いをかなえるため」ではなくて、「義父の願いであった、『社会をもっと良くしたい』という思いを実現するため」だったからこその決断だったのではないかと思いました。
夫の家定が若くして亡くなって失意の状態にあるときに、側室から「あなたは夫から愛されていたのに、なぜいつまでも泣いているの」と言われて、篤姫は「あぁ、そうだ、家定と語り合った、より良い社会を目指すために、泣いてばかりはいられない」と再び立ち上がります。
これが、家族愛だとか夫婦愛だとか評論されているみたいだけれど、私はそれを超えてさらに、同志愛なのではないかと思います。
篤姫が強くいられる理由は、生家の家族や幼なじみ、義父や夫の存在―必ずしもいつもそばにいる人ではないけれど、お互いの存在を大事にして、心の支えにできる存在がいるからなのでしょう。
人の行動に絶対の正解はない。社会にはたくさんの人がいて、なんでも自分の思うようにいくわけではない。片方がよければ片方が悲しむ場合も多い。
そんな中で何をどう判断し、対処していくべきか。―それはきっと、自分の心の中にある信念や良心に従うしかないのでしょう。
ときに、物事を通すためには自分が引いて妥協しなくてはならないこともあるかもしれない。でもそれは、自分の信念を通すためにやることであって、妥協がすべてになってしまってはいけない。
だけど、いつもいつも強くばかりもいられない。気持ちが滅入る時があっても、心の支えは、たとえ少し離れていても、同じ思いを共有できる仲間がいると信じられること。
いつも悩んだり悲しんだりイライラしたり、心揺れ動きながらも、自分自身が最初に感じた思いは決して捨てない。そんな篤姫を週に1回見て、「あぁ、篤姫も頑張ってるから私もまた1週間頑張ろう」って、私は思っています。
どんな仕事についていても、そんな感覚を自らに当てはめながら見ている人が多いのではないのかなぁと、私は思います。
・・・と篤姫の感想を熱く語ることに時間を割いてしまいましたが、ああ、もうすぐ大学院のレポートの締め切りが・・・
※かとうぎ桜子を育てる会のHPはこちら
ホームドラマっぽかったり、青春ドラマっぽかったりして、分かりやすいせいかな、という分析でした。あと、人気者が出ているから、と。
皆さんは、篤姫、見てますか?
私は、毎週連続でテレビを見るというのが苦手で、ほとんど連続ドラマを見ません。まして大河ドラマなんて1年続きますからね・・・。
でも篤姫は見てるんですな。毎週は見れないけど。
大河ドラマを一生懸命見ていたのは、たしか小学校4年生くらいの時に、「太平記」というのを見て以来だと思うのですが。。
毎週見れない・・・というわけで、よりによって家定が亡くなった回を見逃して、悔やむに悔やみきれないところです。。
で、なぜ一生懸命見てしまうのか。
その理由は、私は朝日新聞の記事の説には反対ですね。
篤姫は、薩摩で自由に育ってきたのだけれど、あるとき偉い人(島津斉彬)に見込まれて養女に貰われる。「社会を良くするために、将軍の妻になってほしい。そして、自分が見込んだ人間(慶喜)を将軍の後継者にするのに力を貸してほしい」と言われる。
小さい頃から好きに生きてきた篤姫は、将軍の妻になるためのいろんなしきたりにイライラしたり、生家や幼なじみとの別れを悲しんだり、心揺れ動きながらなんとか将軍の妻になる。
将軍・家定の妻の地位にまで来たからには、ミッションである「慶喜を後継者に・・・」をなんとしても実現しなければ、自分の存在の意味がなくなってしまう。大奥は、慶福という人を後継者にしてほしいと願っていて、なかなか厳しい状態。
家定と心を通わせるまでにも、とても時間がかかり・・・それでもだんだんと打ち解けてくる。
でも、家定もまた、慶福の方が後継者に向いていると言う。
悩んだ篤姫は、じゃあ慶福と慶喜の二人ともに会ってみて判断しようと考える。そこで、会って実際に話をしてみたところ、篤姫もまた、「慶福のほうがいいかも・・・」と思ってしまう。
家定とはだんだん、社会はどうあるべきかという話を深め、理解し合える仲になっていたので、自分の心の迷いを、正直に伝えずにはいられなくなる。
でも、そもそも、篤姫が将軍家に来た理由は、義理の父の願いを果たすためだったわけ。それなのに、中に入ってみたら、違うものが見えてきてしまった。中にいる自分が、心のままに動いたら、義父を裏切ることにもなる。
慶福を推す人にも、慶喜を薦める人にも、それぞれの信念があり、譲れない思いがある。でも、どちらかを決断しなくてはならない。どちらかに決断すれば、どちらかが泣き、裏切られたと感じることになる。
そんな究極の状態で、何を基準に物事を選択するか―。
結局、篤姫がいつも一番大切にするのは、自分がそのとき心に感じた、「このまま進むのは何かおかしいんじゃないかな」という感覚だったり、「私はこれを優先すべきと思う」という感覚だったりするのではないかと思います。
篤姫は義父の望みではなく、夫の考えと共に歩むことを決断します。それは言葉としては、「私は今は徳川家の人間になったのだから。」という言葉で出てきている―これが、ホームドラマと言われた理由かもしれません。でも、ここで出てくる「徳川家」という言葉は、裏返せば「薩摩の家は裏切ることになる」という現実に対する整合性としての表現だったのではないかと思います。
「家」よりももっともっと根本にあるのは、自分自身の存在がここにあるのが、「義父の願いをかなえるため」ではなくて、「義父の願いであった、『社会をもっと良くしたい』という思いを実現するため」だったからこその決断だったのではないかと思いました。
夫の家定が若くして亡くなって失意の状態にあるときに、側室から「あなたは夫から愛されていたのに、なぜいつまでも泣いているの」と言われて、篤姫は「あぁ、そうだ、家定と語り合った、より良い社会を目指すために、泣いてばかりはいられない」と再び立ち上がります。
これが、家族愛だとか夫婦愛だとか評論されているみたいだけれど、私はそれを超えてさらに、同志愛なのではないかと思います。
篤姫が強くいられる理由は、生家の家族や幼なじみ、義父や夫の存在―必ずしもいつもそばにいる人ではないけれど、お互いの存在を大事にして、心の支えにできる存在がいるからなのでしょう。
人の行動に絶対の正解はない。社会にはたくさんの人がいて、なんでも自分の思うようにいくわけではない。片方がよければ片方が悲しむ場合も多い。
そんな中で何をどう判断し、対処していくべきか。―それはきっと、自分の心の中にある信念や良心に従うしかないのでしょう。
ときに、物事を通すためには自分が引いて妥協しなくてはならないこともあるかもしれない。でもそれは、自分の信念を通すためにやることであって、妥協がすべてになってしまってはいけない。
だけど、いつもいつも強くばかりもいられない。気持ちが滅入る時があっても、心の支えは、たとえ少し離れていても、同じ思いを共有できる仲間がいると信じられること。
いつも悩んだり悲しんだりイライラしたり、心揺れ動きながらも、自分自身が最初に感じた思いは決して捨てない。そんな篤姫を週に1回見て、「あぁ、篤姫も頑張ってるから私もまた1週間頑張ろう」って、私は思っています。
どんな仕事についていても、そんな感覚を自らに当てはめながら見ている人が多いのではないのかなぁと、私は思います。
・・・と篤姫の感想を熱く語ることに時間を割いてしまいましたが、ああ、もうすぐ大学院のレポートの締め切りが・・・

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