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★「あなたは当事者ではない」その3 ★「また会いましょう」

★「あなたは当事者ではない」その3

さてさて、3部構成になっているこの本の第3部は、当事者と研究者がかかわっていく時に背後に現れてくる、場所の共有、時間の共有、文化の違い、そんな中でどう関係を作っていくか、ということが書かれています。

前のブログで、私が母の看病をする中で色々と感じてきたこと、「当事者としての私」というのを書きましたが、一方で人生の中ではむしろ、「当事者じゃないでしょ」を言われる回数が多かった。

例えば大学生の頃は国文学を専攻していたんだけれど、一方でハンセン病の支援や手話の勉強をしていました。
そういうときによく、「あなたは福祉の勉強もしていないし、そんなに若いのになんでこんなところに来たの?」と言われました。
でも、当事者の人は、「ほんとは全然関係ないと思っちゃってもおかしくないのに来てくれて嬉しいわ」というニュアンスだったんだけれど、逆にもっと昔から関わっている非当事者の人が「なんであなたみたいな人が来るのさ」というニュアンスで言うことが多かったんですね。

それでも今は、そんなこと関係ないじゃないかと思えるようになった・・・と、これまた以前のブログで書きましたが、こう思えるようになったのは、なんだかんだでちょこっとずつでもいろんな問題に関わり始めてもう8年になるという自分の中の強みなんだと思います。ほんとに、最初の2,3年は嫌な気分になることが多かったなぁと思います。
私の場合は、何を始めるにもまずは一人から始めていて、同年代で同じ思いを持つ人となかなか知り合える機会がなかったという大変さもあったんだとは思いますが。

ハンセン病の支援の集まりに行っても、そこに参加している当事者と支援者は、そこにずっといた人にしか分からない地名・人名・言葉遣いで話すんですね。ひとつのコミュニティが完成しているからでしょう。
でも、何か関わりたいと思ってふっと行った私には、何だかさっぱり分からない。

2001年、ハンセン病の裁判について、当時の小泉首相が控訴断念を決めるか決めないかというとき、ニュースを見て心に何かを感じたのであろうたくさんの人が、国会の周辺まで来ていました。
何かを思うだけじゃなくて、実際に来ちゃう人って案外世の中にいっぱいいるんだなあと思いながら、私もその場にいたんですが。

だけど、あの時の思いをそのまま持続してずっと支援に関わり続けた人がどれだけ残ったかというと、どうなんでしょう。
当事者と、非当事者とはいえ支援者として関わってきた人の間で作られてしまっているコミュニティに新たに飛び込むところまでできた、新・非当事者がどれだけいたかというと、どうなのかな、と。

これはハンセン病に限ったことではないのだけど、当事者・非当事者の間で一定の信頼関係ができたときに、さらにその外側にいる「部外者」を排除していく、非当事者の中でさらに階層が分かれていく、という難しさを感じます。
(ちなみにハンセン病に関しては、今は、まだハンセン病患者の多い国に対する国際支援の観点から大学生がたくさん関わっていて、2001年頃とは違う形でまた新しい力になっているんだろうと思います。)

この本にも「同じ体験を当事者の中だけでとしていたら、当事者が感じていることは当事者以外の人には伝わらない」という言葉が出てきます。

だから、当事者と非当事者の間をつなぐ人、さらに社会全体につなげる人も必要なんだろうということを感じていたのです。


でも、今の私は、例えば他の方から、「加藤木さんは福祉が分かって良いね。僕にはさっぱり分からないから・・・」と言われることがあるけれど、それは私が2001年頃に感じていたことを逆に言われる側になってしまっていることだなあとも思います。
議会の中でも、ついつい福祉のほうに関心が行ってしまうけど、それをより多くの人に開いていくことを工夫していかないと、かつて私が感じた疎外感を、ほかの人にも味わわせてしまうことになってしまいますね。気をつけなくてはいけないと思います。


まあ、そんなところでこの本のお話は終了にします。


★「また会いましょう」
関連して、ふと、思い出した話。
ずっと前に、工藤由貴子さんという、国際長寿センターというところで活動されている方が高齢者のことに関連して言っていたことです。
「また会いましょうね」という言葉を高齢者が使う、その重みについてです。

「変装―私は3年間老人だった」という本があるんだそうです。外国の26歳の女性が、高齢者の研究をするために、自ら変装して80歳の老婆として社会生活をしてみる。
その中で社会から受ける扱い、疎外感、でもときにほっとする思いを味わう。

あるとき知り合った老人と、しばらくお話をして楽しい時間を過ごす。
「また、来週のこの時間、ここで会いましょう」と約束をするようになる。
次の週も約束どおり会って、「またもう一度、会いましょうね」と約束をする。

だけど次の週に、その老人はやって来ない。
その人の身に、何か起きたんだろうかと思うけど、どうすることもできない。
高齢者は日々、そんな喪失感を持ちながら生きているんだろうかと、変装をしている26歳の女性は思う。


工藤さんはそれを読んで、そして自分の身近にいる高齢者の中にもいつも「また会いましょうね」と言ってくださる方がいることを思い出したのだそうで。そして、高齢者が「また会いましょう」というときに、どれだけの深い思いがそこに込められているのだろうか、と思いを馳せたという話でした。


でも、ほんとはそれは、高齢者だけではなくて、生きている私達皆に共通することなんではないかなと、私は思います。

私の母が亡くなったとき、母の学生時代の友達がたくさん来て、「いつかまた会えると思っていたのに」と嘆いていました。
それでも、もう10年も20年も会っていなかった人も多かったんです。

ずーっと会っていなくても、結果的に二度と再会することが無くても、でも「どこかで元気で生きているんだろう」と思うことで、なんとなく寂しくない、というのって、あるんだろうなとそのとき思ったんです。

人間、生きている限り、どこかで「これからも永遠に生き続ける」と思ってしまうものなのかもしれません。今日と同じ日が、明日も必ず来ると、どこかで信じているのかもしれません。信じられるから、なんとか毎日生きていけるのかもしれない。

でも、母の一件があって以来私は、誰と会っても、別れ際に言う「また今度会おうね」の言葉の中に、「本当に、いつかまた会えますように。」という祈りを込めて言うようになりました。

※かとうぎ桜子を育てる会のHPはこちら

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プロフィール

かとうぎ桜子

Author:かとうぎ桜子
1980年生まれ。

保育士、ヘルパー2級、社会福祉士の資格を使って福祉の仕事をしてきました。
制度だけでは一人ひとりが安心して生活するまちを作るには不十分だと考え、誰もが安心できるまちのしくみ作りをしていきたいと考えています。

2007年4月の統一地方選で練馬区議会議員に初当選。

2010年3月、「市民参加と公共性―保育園民営化を契機として」と題する修士論文を書き、立教大学大学院・21世紀社会デザイン研究科を修了。

2011年4月 無所属で2期目に当選。

2011年末に子宮頸がんが見つかり、2012年春に円錐切除の手術をしました。その後は今のところ再発もなく元気に仕事しています。
この経験を活かし、がん検診の啓発など健康に関する課題にも取り組んでいこうとしています。

2015年4月、3期目に当選。

会派は市民ふくしフォーラム。

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