Entries
遠出をしてきました
私の従兄弟がやっている和力が昨日、富山県の上市というところで公演をやりました。
私の父とおじが事務局として見に行くということだったので、定例会も終わったところだし私もついて行くことにしました。
剱岳というのが、まー、美しかった。車から見ることが多かったので写真が撮れませんでしたが・・・。
和力の舞台を見ると、いつも元気をもらえるのですが、今回は自然と、そこでとれた食べ物にも元気をもらいました。
一人会派になってから、言うこともやることもぜーんぶ、自分の信念だけで動けるから、毎日とても楽しいし、区民の皆さんと共有できるような新たな企画が色々と頭に浮かんで、良い意味で毎日忙しく、充実していてストレスもほとんどないんですけれど、そうはいっても自分でも気づかないうちに、心の中にヘドロのようなものがたまるものです
この社会で生きていれば誰しも知らず知らずに、たまっていくものなのかもしれませんが。
今の私にたまったヘドロはなんだったかというと、やはり今の社会のあり方に対する疑問でした。
90年代に日本の社会が停滞して、それを打破するために小泉元首相が「痛みを伴うけど日本を変えよう」と言ったわけでしょう。小泉首相の強い言葉に、「そうかな」となんとなく納得してきた社会。
でも結局、痛みは社会の中の弱い方へ、弱い方へと流れて、「痛いよー!」と声を挙げると、「小泉首相と、【痛みを分け合おう】と約束したんだから、泣き言をいうな!」とかいって放置されてきたわけでしょう。
その矛盾が今、明らかになってきているのに、練馬区は留まろうとしない。日本全体を見ると、少しは揺り戻しがきているようにも見えるけど、まだ練馬区には及んでいないように思える。
なんでかなあ・・・と思うのだけど・・・一度決めた方針を、立ち止まり、見直すのは、勇気が要ることだからかもしれないですねぇ・・。
そんな姿を見ていて、定例会中、「バラ色の未来」という歌の歌詞を思い出していました。また中島みゆきですが。
だれもまだ見たことがない バラ色をまだ見たことがない
これだ といわれたら そうかな と思う
しだいに それじゃなきゃイヤだ と思いこむようになって
それがないのがつらくなる
教えてよ 僕の憧れてたあの頃
バラの色はどんな色だったというのか
新自由主義の社会は決してバラ色の未来を生まないはずなのに、立ち止まれないのは、誰もがみんな、「これだといわれたらそうかなと思う」ところから一歩先に進めないからではないかなあとも思います。
そんな風に思いながら、いろんな人とやり取りをしていると、知らず知らずに心がドンヨリ~としてくるものですね。
まあ、普段はまったく意識しているわけではないのですが、和力の演奏を見ていると、なぜかザザーッと、そんな心のヘドロが流れ出していって、「さてさて、また新たな気分で頑張ろう」と思えるのです。
富山では、「だんごや」という宿に泊まりました。

山菜を中心とした手作りのあったかい料理を出してくださいました。
愛情こめて作った料理は、野菜もご飯も芯がとれて、優しい味になりますね。
ここは、向かいにある日石寺というところに修行に来る人が泊まる場所だったそうです。
ここには勢いよく落ちる六本の滝があって、この滝に打たれるという修行だそうで。

「【六】というのは、【六根清浄】の意味があるんです」と、宿の方が教えてくださいました。
「【六根】は、【目】【耳】【鼻】【舌】【体】【心】。「おいしいものを食べたい」「良いものが欲しい」というような、六根に生じる欲を清めるために修行をしたようです」と。
私は滝に打たれたわけではないけど、そこで取れた野菜を食べて、そこにある自然を見ることで、スーッと心が落ち着くようでした。
欲得の争いには巻き込まれない。自分の大事な地域の仲間を不毛な争いから守る。
そして自分の心も乱さない。
また明日から、楽しいことと大切なことだけを見て頑張ろう、と気分を一新できた連休でした。
かとうぎ桜子のホームページはこちら
私の父とおじが事務局として見に行くということだったので、定例会も終わったところだし私もついて行くことにしました。
剱岳というのが、まー、美しかった。車から見ることが多かったので写真が撮れませんでしたが・・・。
和力の舞台を見ると、いつも元気をもらえるのですが、今回は自然と、そこでとれた食べ物にも元気をもらいました。
一人会派になってから、言うこともやることもぜーんぶ、自分の信念だけで動けるから、毎日とても楽しいし、区民の皆さんと共有できるような新たな企画が色々と頭に浮かんで、良い意味で毎日忙しく、充実していてストレスもほとんどないんですけれど、そうはいっても自分でも気づかないうちに、心の中にヘドロのようなものがたまるものです

この社会で生きていれば誰しも知らず知らずに、たまっていくものなのかもしれませんが。
今の私にたまったヘドロはなんだったかというと、やはり今の社会のあり方に対する疑問でした。
90年代に日本の社会が停滞して、それを打破するために小泉元首相が「痛みを伴うけど日本を変えよう」と言ったわけでしょう。小泉首相の強い言葉に、「そうかな」となんとなく納得してきた社会。
でも結局、痛みは社会の中の弱い方へ、弱い方へと流れて、「痛いよー!」と声を挙げると、「小泉首相と、【痛みを分け合おう】と約束したんだから、泣き言をいうな!」とかいって放置されてきたわけでしょう。
その矛盾が今、明らかになってきているのに、練馬区は留まろうとしない。日本全体を見ると、少しは揺り戻しがきているようにも見えるけど、まだ練馬区には及んでいないように思える。
なんでかなあ・・・と思うのだけど・・・一度決めた方針を、立ち止まり、見直すのは、勇気が要ることだからかもしれないですねぇ・・。
そんな姿を見ていて、定例会中、「バラ色の未来」という歌の歌詞を思い出していました。また中島みゆきですが。
だれもまだ見たことがない バラ色をまだ見たことがない
これだ といわれたら そうかな と思う
しだいに それじゃなきゃイヤだ と思いこむようになって
それがないのがつらくなる
教えてよ 僕の憧れてたあの頃
バラの色はどんな色だったというのか
新自由主義の社会は決してバラ色の未来を生まないはずなのに、立ち止まれないのは、誰もがみんな、「これだといわれたらそうかなと思う」ところから一歩先に進めないからではないかなあとも思います。
そんな風に思いながら、いろんな人とやり取りをしていると、知らず知らずに心がドンヨリ~としてくるものですね。
まあ、普段はまったく意識しているわけではないのですが、和力の演奏を見ていると、なぜかザザーッと、そんな心のヘドロが流れ出していって、「さてさて、また新たな気分で頑張ろう」と思えるのです。
富山では、「だんごや」という宿に泊まりました。

山菜を中心とした手作りのあったかい料理を出してくださいました。
愛情こめて作った料理は、野菜もご飯も芯がとれて、優しい味になりますね。
ここは、向かいにある日石寺というところに修行に来る人が泊まる場所だったそうです。
ここには勢いよく落ちる六本の滝があって、この滝に打たれるという修行だそうで。

「【六】というのは、【六根清浄】の意味があるんです」と、宿の方が教えてくださいました。
「【六根】は、【目】【耳】【鼻】【舌】【体】【心】。「おいしいものを食べたい」「良いものが欲しい」というような、六根に生じる欲を清めるために修行をしたようです」と。
私は滝に打たれたわけではないけど、そこで取れた野菜を食べて、そこにある自然を見ることで、スーッと心が落ち着くようでした。
欲得の争いには巻き込まれない。自分の大事な地域の仲間を不毛な争いから守る。
そして自分の心も乱さない。
また明日から、楽しいことと大切なことだけを見て頑張ろう、と気分を一新できた連休でした。
かとうぎ桜子のホームページはこちら
0件のコメント
コメントの投稿
0件のトラックバック
- トラックバックURL
- http://sakurakohappysociety.blog56.fc2.com/tb.php/356-07911ae0
- この記事に対してトラックバックを送信する(FC2ブログユーザー)