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ゼミ合宿
★父のブログが更新されたと、以前書いたことがありましたが、その続編も更新されました。こちら
★なんとか、修士論文の中間発表を終えて帰宅しました。次回の発表は5月中旬・・・今度こそもっと書き進めなくては・・・(--;)
★ゼミ合宿の前日に、友人と夕飯を食べながら「ああ、論文の発表の準備が終わらない・・・」とブツブツ愚痴っていました。
「ふうん、論文の発表が準備できないと、何が起きるの?」と友人。
私「うーん・・・先生に怒られるの。」
友人「怒られるだけ?」
私「そうだねぇ・・・
でも、いつまでも準備が進まないと留年するの。」
友人「ふうん。でも、せっかく勉強しに行ってるんだから留年してもじっくりやっても良いんじゃない?」
私「・・・
でも1年、卒業が遅れたら区議選に重なっちゃうの。」
友人「そんじゃあ2年留年すれば?」
私「・・・
」
まあ、卒業を先延ばししても論文が自然と書きあがるわけではないので(^^;)、できれば頑張っちゃいたいと思いますがね。
だけど、そのときそのときに優先すべき事柄というのが出てくるわけだから、柔軟に対応することもできるものなあ、とちょっと励まされました(^^;
小心なひねくれ者なので、「慌てなくても大丈夫だよ」と言ってもらえると、「よし、そんじゃあもう少しがんばってみよう」と思えるのです・・・
★それで、なんとなく元気を取り戻して合宿に行きました。
合宿といっても、池尻大橋の近くですが。
学生が順番に中間発表をしていって、先生や他の学生が意見を言い合う。
ずーっと座りっぱなしなので、昼食後に少し散歩に出かけました。
目黒川沿いの桜を見てみよう、と外に出た。
川の向かいに、ドームみたいなものがあるので、「こりゃあ、なんじゃい」とポカンと見ていたら、「来年完成の予定の大橋ジャンクションなんです。見学できますよ」と、案内板を持ったおじさんが教えてくれる。
ほほー。じゃあ、見学してみよう、と思って、おじさんについていきました。
中央環状新宿線・品川線と首都高速を結ぶんですって。高低差が最大約70メートルあるので、2回転のループで結ぶ・・・とパンフレットに書いてありました。
2回転渦巻きになっていて、最上階(9階くらいの高さ)は緑化して公園にするんだとか。それで、隣に建つビルからその緑化部分に入れるんだって。
・・・何言ってるんだか、分かりますか?(苦笑)
うーん、説明が難しい。
リンクしたところの絵を見てみてください。。
国立競技場くらいの大きさで、高さが9階建てくらいなのですね。
それで、「地域の中で違和感のない一体感のあるものにします。」と書いてありました。
「うーん・・・一体感、かぁ・・・」とつぶやきつつ、眺めてました。
目黒川のすぐ脇に、ドーム上のものがあっててっぺんが緑化されてる感じになるわけですが。
プリンをひっくり返してお皿に出したら、てっぺんがカラメルになるでしょう。その、カラメル部分が緑、みたいなイメージ・・・?。
目黒川沿いに国立競技場大のプリン・・・。
練馬には外環の話がありますが、他の地域の道路を見てみたり、実際に工事しているところを見てみるというのも勉強になるものですね。
色々と思うことがありましたが、とりあえずは心の中にしまっておきます(^^;
私はどちらかというと直接の人との関わりという福祉のことがテーマになっちゃいますが、近いうちに外環のことも議論したいと思うので、そのときにまた改めて・・・。
★大橋ジャンクションのことで頭がいっぱいになりながら、論文の中間発表をしました
結局あんまり進みはしなかったんだけれど、準備のために読んだ本の中で、良い言葉に出会いました。ちょっとだけ引用します。
齋藤純一「公共性」岩波書店
・公共性は真理ではなく意見の空間なのである。
(中略)意見とは、「私にはこう見える」という世界へのパースペクティヴを他者に向かって語ることである。
・ある人が公共的空間から去るということは、それだけ私たちの世界が貧しくなるということを意味する。なぜなら、正確にいえば世界そのものというものは存在せず、「世界はこう見える」が複数存在するだけだからである。意見とは、絶対的な真理でもなければ、あってもなくてもよいたんなる主観的な見解でもない。
意見が対立するときに、「加藤木さんのように考える人ばかりではないんだから、意見を譲るべきだ」と言われることが結構ありました。
私は、私の考えや信念が唯一絶対正しいと思っているわけではないし、私とは違う側面から社会を見ている人がたくさんいるんだなあということを、議会の中で感じています。
だけど、私とは違う考えの議員さんに対して、「私と同じように考えるようになれば良いのに」と思うわけではなくて、その人はその人の人生の中で出会う人や学んできたことをもとに判断しているんだろうなあ・・・と理解しています。
私は、違う考えの人を否定はしないけど、だからといって逆に私がそちらの考えに近づいていく必要はなくて、同じ物事を違う視点で議論することに意味があるんだろうと思っています。
みんなが同じになるんだったら50人も議員は要らないですもんね。
だからこの本に書いてある、「異なる意見の場が公共なんだ」というのに納得しました。
保育園の委託のことも、「そんなに急いで委託をしないで欲しい」という、区の方針とは異なる思いを持った保護者(区民)の意見を聞くというプロセスが欠如しているから、私は違和感を覚えていたんだということが整理できました。
論文を書くには、「公共」のあり方を私なりに整理して定義してみるところから始めたら良いんだな、というところまでは分かりましたので、この作業を5月中旬までにやらなくては・・・(^^;
でも、齋藤さんの本によって、長いことモヤモヤしていた原因がはっきり分かってスッキリ。
まるで長年の便秘が治ったように、みぞおちのあたりがスカッとしました。
※かとうぎ桜子のHPはこちら
★なんとか、修士論文の中間発表を終えて帰宅しました。次回の発表は5月中旬・・・今度こそもっと書き進めなくては・・・(--;)
★ゼミ合宿の前日に、友人と夕飯を食べながら「ああ、論文の発表の準備が終わらない・・・」とブツブツ愚痴っていました。
「ふうん、論文の発表が準備できないと、何が起きるの?」と友人。
私「うーん・・・先生に怒られるの。」
友人「怒られるだけ?」
私「そうだねぇ・・・

友人「ふうん。でも、せっかく勉強しに行ってるんだから留年してもじっくりやっても良いんじゃない?」
私「・・・

友人「そんじゃあ2年留年すれば?」
私「・・・


まあ、卒業を先延ばししても論文が自然と書きあがるわけではないので(^^;)、できれば頑張っちゃいたいと思いますがね。
だけど、そのときそのときに優先すべき事柄というのが出てくるわけだから、柔軟に対応することもできるものなあ、とちょっと励まされました(^^;
小心なひねくれ者なので、「慌てなくても大丈夫だよ」と言ってもらえると、「よし、そんじゃあもう少しがんばってみよう」と思えるのです・・・
★それで、なんとなく元気を取り戻して合宿に行きました。
合宿といっても、池尻大橋の近くですが。
学生が順番に中間発表をしていって、先生や他の学生が意見を言い合う。
ずーっと座りっぱなしなので、昼食後に少し散歩に出かけました。
目黒川沿いの桜を見てみよう、と外に出た。
川の向かいに、ドームみたいなものがあるので、「こりゃあ、なんじゃい」とポカンと見ていたら、「来年完成の予定の大橋ジャンクションなんです。見学できますよ」と、案内板を持ったおじさんが教えてくれる。
ほほー。じゃあ、見学してみよう、と思って、おじさんについていきました。
中央環状新宿線・品川線と首都高速を結ぶんですって。高低差が最大約70メートルあるので、2回転のループで結ぶ・・・とパンフレットに書いてありました。
2回転渦巻きになっていて、最上階(9階くらいの高さ)は緑化して公園にするんだとか。それで、隣に建つビルからその緑化部分に入れるんだって。
・・・何言ってるんだか、分かりますか?(苦笑)
うーん、説明が難しい。
リンクしたところの絵を見てみてください。。
国立競技場くらいの大きさで、高さが9階建てくらいなのですね。
それで、「地域の中で違和感のない一体感のあるものにします。」と書いてありました。
「うーん・・・一体感、かぁ・・・」とつぶやきつつ、眺めてました。
目黒川のすぐ脇に、ドーム上のものがあっててっぺんが緑化されてる感じになるわけですが。
プリンをひっくり返してお皿に出したら、てっぺんがカラメルになるでしょう。その、カラメル部分が緑、みたいなイメージ・・・?。
目黒川沿いに国立競技場大のプリン・・・。
練馬には外環の話がありますが、他の地域の道路を見てみたり、実際に工事しているところを見てみるというのも勉強になるものですね。
色々と思うことがありましたが、とりあえずは心の中にしまっておきます(^^;
私はどちらかというと直接の人との関わりという福祉のことがテーマになっちゃいますが、近いうちに外環のことも議論したいと思うので、そのときにまた改めて・・・。
★大橋ジャンクションのことで頭がいっぱいになりながら、論文の中間発表をしました

結局あんまり進みはしなかったんだけれど、準備のために読んだ本の中で、良い言葉に出会いました。ちょっとだけ引用します。
齋藤純一「公共性」岩波書店
・公共性は真理ではなく意見の空間なのである。
(中略)意見とは、「私にはこう見える」という世界へのパースペクティヴを他者に向かって語ることである。
・ある人が公共的空間から去るということは、それだけ私たちの世界が貧しくなるということを意味する。なぜなら、正確にいえば世界そのものというものは存在せず、「世界はこう見える」が複数存在するだけだからである。意見とは、絶対的な真理でもなければ、あってもなくてもよいたんなる主観的な見解でもない。
意見が対立するときに、「加藤木さんのように考える人ばかりではないんだから、意見を譲るべきだ」と言われることが結構ありました。
私は、私の考えや信念が唯一絶対正しいと思っているわけではないし、私とは違う側面から社会を見ている人がたくさんいるんだなあということを、議会の中で感じています。
だけど、私とは違う考えの議員さんに対して、「私と同じように考えるようになれば良いのに」と思うわけではなくて、その人はその人の人生の中で出会う人や学んできたことをもとに判断しているんだろうなあ・・・と理解しています。
私は、違う考えの人を否定はしないけど、だからといって逆に私がそちらの考えに近づいていく必要はなくて、同じ物事を違う視点で議論することに意味があるんだろうと思っています。
みんなが同じになるんだったら50人も議員は要らないですもんね。
だからこの本に書いてある、「異なる意見の場が公共なんだ」というのに納得しました。
保育園の委託のことも、「そんなに急いで委託をしないで欲しい」という、区の方針とは異なる思いを持った保護者(区民)の意見を聞くというプロセスが欠如しているから、私は違和感を覚えていたんだということが整理できました。
論文を書くには、「公共」のあり方を私なりに整理して定義してみるところから始めたら良いんだな、というところまでは分かりましたので、この作業を5月中旬までにやらなくては・・・(^^;
でも、齋藤さんの本によって、長いことモヤモヤしていた原因がはっきり分かってスッキリ。
まるで長年の便秘が治ったように、みぞおちのあたりがスカッとしました。
※かとうぎ桜子のHPはこちら
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