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シチズンシップ教育
11月30日は、知人から紹介してもらって、自分の生活に基づいた活動をしている議員さんに会いに行きました。都外ですが。
その「ツアー」の中で、埼玉ローカルマニフェスト推進ネットワークの事務局をしている聖学院大学にも出かけました。
私の活動拠点は都内の練馬区ですが、私の思うことと共感しあえる人がたまたま埼玉にいたので、出かけていったのです。
埼玉のローカルマニフェストネットワークは、7月に結成記念フォーラムをやりましたので、私はそれにも出かけました。
11月30日には色々と感銘を受けた出会いがありましたが、ここではローカルマニフェスト推進ネットワークの中で取り上げられていたシチズンシップ教育について書きたいと思います。
7月のフォーラムで言われていたのは、中学生が自分の住んでいるまちについて自分で考え調べる中で、身近に地域の課題を感じ、解決法を探っていけるような教育というものを取り上げていました。
私自身が練馬で活動している中で時々感じること。
若者は政治に関心を持ちにくい。
でも、若者よりもさらに若い世代-子どもは意外と見ている。
「桜子さん!」と呼びながらチラシを受け取ってくれた小学生。
「ポスターをよく見ています」と言ってくれた中学生。
「さっきも会ったね」と声をかけてくれた男の子。
私自身、子どものころから自分のまちの議員さんにはちょっと関心があった。
16,7の頃には、「もし自分が投票に行くならば」と考えてみることもあった。
子どもは色々なことに関心がある。
政治のことに限らず。社会のどんなことにも。
私は以前、保育園でバイトをしたこともありました。
子どもはやる気に満ちていた。
お手伝いをしたくて仕方ない子もたくさんいた。
でも、私の働いた公立の保育園では多くの場合、怪我をさせないためなのか、お手伝いはしなくてもいい、といって子どもは追い払われていた。
子どもが青年になる中で、世の中に関心を持てなくなっているとしたらなぜだろう、としみじみ考える。
せっかく持った関心の芽を、大人が摘み取ってしまうからではないか。
お手伝いをしようとすれば、「むしろ邪魔だからあっちに行ってなさい」という大人がいる。
子どもなりに政治に関心を持とうとすれば、「子どものくせに」と言われる。
「それならば何も考えずにいたほうがいいじゃないか。せっかく考えようと思っていたのに。面倒くさいな。」
そうやって、はじめは輝いていた子どもの目が、だんだん動かなくなって、そして社会の出来事に無関心な若者へと育っていってしまっているように、私には思えます。
さてここでようやく話を戻してシチズンシップ教育。
自分のまちについて、自分で実際に歩いてみて、課題を実感して、声をあげていく教育。
自分の住んでいる地域について学ぶというのは今までも小学校でやってきたと思います。
私は小学校の頃は千葉県の松戸に住んでいたので、小学生の頃の社会科では「のびゆく松戸」とかいう教科書を使って、松戸の勉強をした覚えがあります。「梨ができる」とか。
そしてテストでは、“松戸情報”を丸暗記していた記憶が。
私はあちこちを転々として育ったせいもあるかもしれないけど、その頃の私は、子ども心にも、「なぜ松戸のことを勉強しなくちゃならないんだろう。もし、別のところに引っ越したら、この勉強は無意味じゃないか」と思って、あまり好きな教科じゃなかった記憶があります。
同じ地域の勉強をするんでも、もし、自分自身でまちを歩いて調べてみて、課題を見つける勉強だったら、もっと楽しめたのではないか。たとえ別の場所に引っ越したとしても、その「地域について調べてみる力と意欲」は生かすことができるし、年齢を重ねるごとに社会の課題に向き合うスキルとして普遍化できたのではないか、と思います。
そしてそれは、大人から押し付けられたり否定されたりすることのない、主体性を育てる教育になるのではないかと。
私の今の活動に対して関心を持ってくれる子ども達が、そのままの好奇心でこれから先ももっといろんなことに出会っていけるような教育方法を確立していければと、一応は教員免許も持っている私は考えたりもするのです。
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