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私が思う「福祉」
「なんの落ち度もないのにひどい思いをして気の毒な人を助ける仕事」
福祉の仕事をしていると、そう言われることがあります。
だから「福祉の仕事をしている人は皆良い人だよね。偉いね」と。
私はそんなとらえ方がどうもしっくりこない。
【理由その1】
仕事の大変さに関しては、システムエンジニアをやってる友人の方が昼も夜もなく働いているし、夜勤があるのはホテルで働いてる人や24時間のお客様サービス窓口で働いてる人も同じでしょう。
【理由その2】
福祉の仕事をしてる人が良い人だとは限りません(笑)
そもそも「良い人」は定義しにくいと思いますが。
仕事に一生懸命で自分自身の生活はめちゃくちゃになってる福祉従事者が私の近くにはいますし、テレビを見ても福祉従事者が虐待をしたり詐欺をしたり、なんて話もよくあります。
私自身は、どうかなあと振り返っても、後悔のない生き方をできているわけではない。小学生のころ、いじめられていた同級生を救う力がなかったことを、後悔したりもしている。
罪は罪として、決着をつけなくてはならないとして、罪を犯した人が必ずしも完全に悪人なわけではない。
人は弱い面を持っている。それは福祉の仕事をしていても同じ。
イライラすることだって心が迷うことだってあるけれど、せめて仕事をしている間は弱さをいかに制御して、「専門家」として対応していくかが、福祉の仕事をする人には求められるんだと思います。
【理由その3】
その2ともつながる話ですが。
福祉を利用する人は「落ち度のない人」に限られるのか。
逆に考えると、何かしら落ち度のある失敗をした人は、助けてもらえなくても仕方ないのか。
私は中学生の頃から落語が好きです。
落語には与太郎という、ほにゃ~っとした人が出てきます。
近所の人は「また、与太郎は仕方ないね」と言いつつも、与太郎のペースに合った対応を考えてる。
それは、与太郎に落ち度がないから助けてあげてるわけじゃなくて、一緒にいる仲間だからではないでしょうか。
思えば落語に出てくる人は皆、お酒ばかり飲んでいたり、なんとか楽して一儲けをしようと考えては失敗するような、落ち度が服を着て歩いてるような人ばかり。
だけど事態が深刻にはならずに、いつも笑いに満ちているのは、どんな存在でも受け止めあえる地域社会がそこにあるからではないかと。
だから本来福祉は、良い人が施し、可哀想な人が受けるものではなく、「あなたがあなたとしてそこに存在してくれるのが私の幸せでもあるんだよ」と言い合える社会なのではないかと私は思うのです。
でも、今の世の中、それには程遠いのかなと思うこともしばしば。「自己責任」なんて言葉で、突き放されてしまうこともありますしね。
今、「再チャレンジ」と言われる一方で、母子家庭の生活保護が削られたり、高齢者の負担が急激に増えています。
福祉の必要な人の負担を増やすことは、かえってその人がそこから出て社会に参加する力を奪う可能性もあります。
社会の中の壊れたつながりを取り戻すためには何が必要なのか。
「再チャレンジ」というのは一体誰の再チャレンジを保障しようとしているのか。キャッチフレーズに惑わされずに見守る目も必要になると思います。
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