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教科書
7月4日まで、総合教育センターで小中学校の教科書の展示会をしているというので、一昨日、見に行ってきました。
教科書がずらっと並んでいるのを見た途端に、「ああ、私、学校ってあんまり好きじゃなかったなあ」ということを思い出しました(^^;
みんなで前を向いて座って、みんなで同じ教科書を開く。あの手触りも文字の大きさも・・・
手にとってしばらくは、「はぁ~・・・
」という気分になりましたが、読み始めてみると、これが意外と面白いものです。
ちょうど一番手前にあったのが国語の教科書だったのでそこから見始めたというのもありますが、私は元々国語が専門なので、国語の教科書をしげしげと、メモをとったりしながら読んできました。
理科や数学は事実を学ぶけど、「事実を前にして自分はどういう価値観を持つか」ということを学ぶのが国語や社会なんだろうと思います。
国語の教科書は5社分が並んでいましたが、見比べてみると個性的。
考えてみれば、教科書を作るのって面白いでしょうね。
この世には一人では読みきれないほどたくさんの文学作品があるわけですが、その中からどれを選んで教科書に載せるか。
作者を絞ったとしても、その人のどの作品を載せるか。
作品の中から抜粋して載せる場合には何というタイトルをつけるか。
作者のプロフィールはどう書くか。
教科書を編修する人の思いが表れると思います。
第二次世界大戦に関する思いが述べられている作品をたくさん載せているものもある。
「いかにも教科書っぽい文字配置」ではない工夫をしている教科書もあった。
話し方・書き方についてページを割くものもある。
ちなみに、ひとつ例を挙げると、中島みゆきの歌詞を載せているのが2社ありました。
私が小学生くらいの時まで、中島みゆきの歌は恋愛関係が多かったんだけど、90年代後半から急に社会性のあるテーマを扱うようになってきたのです。
だから私が子どものころには中島みゆきの歌詞が教科書に載るなんてあり得なかったので、なんかしみじみ・・・。
1社は、「誕生」という歌を載せていました。
泣きながら生まれる子供のように
もいちど生きるため 泣いてきたのね
もう1社は、「永久欠番」という歌を載せていました。
どんな記念碑(メモリアル)も 雨風にけずられて崩れ
人は忘れられて 代わりなどいくらでもあるだろう
だれか思い出すだろうか ここに生きてた私を
100億の人々が 忘れても見捨てても
宇宙(そら)の掌の中 人は永久欠番
同じ中島みゆきでも、1社は「生きていくこと」を取り上げ、1社は「死んでいくこと」を取り上げているでしょう。
同じ作者のどの作品を取り上げるか、がまったく違う。
ところで、教科書に載る太宰治の作品はなぜいつも「走れメロス」なのか、ということが、私は子どものころから気になっていました。「走れメロス」はあんまり太宰っぽくない気がするのだけれど・・・。
(ちなみに、私が国文学に惹きつけられたきっかけとなった作品のひとつは、太宰治の「斜陽」でした。)
ある教科書は、子どもの権利条約の一節を紹介し、その次のページに黒柳徹子の途上国での体験談を載せていました。
私はこれが一番心に残りました。
黒柳徹子の出会った子どもが、かなり病気の重い状態でいるのだけれど、気遣う徹子さんをじっと見て、「あなたの幸せを祈っています」と言う。
死にゆく子どもは誰のことも恨まない・・・
このエッセーの前に、子どもの権利条約の第六条(子どもの生存権と発達の保障)が添えられている。
教科書編集者自体が何を考えているのかが書いてあるわけではないんだけど、作品をどういう順番で載せるかということで、思いが伝わってくるものなんだと思いました。
教科書って、使い方しだいでは子どもの人格を左右するものになるんだなあと、しみじみ。
子どもは、たとえそのときは気がつかなかったとしても、教えられたことは後からジワリと心に浸透してくるものなのでしょう。
ある意味、怖いほどのものですね。
※かとうぎ桜子のHPはこちら
教科書がずらっと並んでいるのを見た途端に、「ああ、私、学校ってあんまり好きじゃなかったなあ」ということを思い出しました(^^;
みんなで前を向いて座って、みんなで同じ教科書を開く。あの手触りも文字の大きさも・・・
手にとってしばらくは、「はぁ~・・・

ちょうど一番手前にあったのが国語の教科書だったのでそこから見始めたというのもありますが、私は元々国語が専門なので、国語の教科書をしげしげと、メモをとったりしながら読んできました。
理科や数学は事実を学ぶけど、「事実を前にして自分はどういう価値観を持つか」ということを学ぶのが国語や社会なんだろうと思います。
国語の教科書は5社分が並んでいましたが、見比べてみると個性的。
考えてみれば、教科書を作るのって面白いでしょうね。
この世には一人では読みきれないほどたくさんの文学作品があるわけですが、その中からどれを選んで教科書に載せるか。
作者を絞ったとしても、その人のどの作品を載せるか。
作品の中から抜粋して載せる場合には何というタイトルをつけるか。
作者のプロフィールはどう書くか。
教科書を編修する人の思いが表れると思います。
第二次世界大戦に関する思いが述べられている作品をたくさん載せているものもある。
「いかにも教科書っぽい文字配置」ではない工夫をしている教科書もあった。
話し方・書き方についてページを割くものもある。
ちなみに、ひとつ例を挙げると、中島みゆきの歌詞を載せているのが2社ありました。
私が小学生くらいの時まで、中島みゆきの歌は恋愛関係が多かったんだけど、90年代後半から急に社会性のあるテーマを扱うようになってきたのです。
だから私が子どものころには中島みゆきの歌詞が教科書に載るなんてあり得なかったので、なんかしみじみ・・・。
1社は、「誕生」という歌を載せていました。
泣きながら生まれる子供のように
もいちど生きるため 泣いてきたのね
もう1社は、「永久欠番」という歌を載せていました。
どんな記念碑(メモリアル)も 雨風にけずられて崩れ
人は忘れられて 代わりなどいくらでもあるだろう
だれか思い出すだろうか ここに生きてた私を
100億の人々が 忘れても見捨てても
宇宙(そら)の掌の中 人は永久欠番
同じ中島みゆきでも、1社は「生きていくこと」を取り上げ、1社は「死んでいくこと」を取り上げているでしょう。
同じ作者のどの作品を取り上げるか、がまったく違う。
ところで、教科書に載る太宰治の作品はなぜいつも「走れメロス」なのか、ということが、私は子どものころから気になっていました。「走れメロス」はあんまり太宰っぽくない気がするのだけれど・・・。
(ちなみに、私が国文学に惹きつけられたきっかけとなった作品のひとつは、太宰治の「斜陽」でした。)
ある教科書は、子どもの権利条約の一節を紹介し、その次のページに黒柳徹子の途上国での体験談を載せていました。
私はこれが一番心に残りました。
黒柳徹子の出会った子どもが、かなり病気の重い状態でいるのだけれど、気遣う徹子さんをじっと見て、「あなたの幸せを祈っています」と言う。
死にゆく子どもは誰のことも恨まない・・・
このエッセーの前に、子どもの権利条約の第六条(子どもの生存権と発達の保障)が添えられている。
教科書編集者自体が何を考えているのかが書いてあるわけではないんだけど、作品をどういう順番で載せるかということで、思いが伝わってくるものなんだと思いました。
教科書って、使い方しだいでは子どもの人格を左右するものになるんだなあと、しみじみ。
子どもは、たとえそのときは気がつかなかったとしても、教えられたことは後からジワリと心に浸透してくるものなのでしょう。
ある意味、怖いほどのものですね。
※かとうぎ桜子のHPはこちら
2件のコメント
[C241] 国文学~
- 2009-07-04
- 編集
[C242] コメントありがとうございます
そうか。ベンチャーの貧者さんも国文学専攻だったんですよね。
織田作之助・・・私はあんまり触れる機会がありませんでした。今度読んでみます。
> たしかに教科書は、ある意味怖いと言えますね。
> 真っ白な状態の子供の頭の中に自然と入っていくわけですから。
そう。しかも、自ら学び取ってるぞという意識があれば取捨選択できるから良いけれど、サブリミナル効果のように、はっきり興味を示していない物事がじわっと頭や心に入ってきてしまうというのは怖いなあと。
織田作之助・・・私はあんまり触れる機会がありませんでした。今度読んでみます。
> たしかに教科書は、ある意味怖いと言えますね。
> 真っ白な状態の子供の頭の中に自然と入っていくわけですから。
そう。しかも、自ら学び取ってるぞという意識があれば取捨選択できるから良いけれど、サブリミナル効果のように、はっきり興味を示していない物事がじわっと頭や心に入ってきてしまうというのは怖いなあと。
- 2009-07-05
- 編集
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今思うと何だったのかなと思います。なんかはっきりしないような
最初に藤本義一を読み、そこで織田作之助を知りそれに関連して太宰治と檀一雄を本格的に読むようになったことがきっかけかな。
でも入学した大学では古典文学中心に当時は力を入れていたのでそりゃもう対応が大変でした
ある教授から「君!高校時代の古文、漢文をこの夏休み中に全てやりなおしなさい。そうでないと単位はやれん!」
まさにウヘェェェ~
でも、卒論はうまく「織田作之助論」で乗り切りましたよ
中島みゆきですか。
私の時代ならとてもとても考えられませんね。
これからも、音楽の教科書はもちろん国語もJ-POPからの引用は多くなるでしょう。
たしかに教科書は、ある意味怖いと言えますね。
真っ白な状態の子供の頭の中に自然と入っていくわけですから。
その内容によっては。