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★アメリカ旅行記、休止 ★水俣問題
★アメリカ旅行記、休止
アメリカ旅行は、シアトルに移動してからは市のホールを見学したり、市民農園みたいなのやコミュニティセンターなどを見学させてもらいました。
コミュニティの活性化のための工夫をしているというお話で面白かったので、ブログにも書きたいのですが、書くためにまずは参考文献を読み直さないといけない・・・。
そして、これがなんと(当然)英語なもんですから(^^;)日本語を読む以上に時間がかかるため、修士論文と一般質問のメドがつくまで、アメリカ旅行記の続きをちょっと保留にさせてください・・・
(ちなみに、いい加減に好き勝手にブログを書いているように見えるかもしれませんが、日本国内のことを書くときも一応ちゃんと文献にあたってから書いているんですよ。文章に残るというのは怖いものですからねぇ・・・)
★水俣問題
先日、水俣病の問題に関わっている方からお話を聞く機会がありました。
公害の問題は、学校の頃習ったり、報道で聞くことはあっても、じっくり向き合う機会がありませんでした。
少し前に、友人が水俣に出かけたときの話を聞かせてくれて、それでハタと、「私も水俣のことをちゃんと勉強しよう」と思いました。
水俣に住んでいる人からお話を聞けることになったので、事前に本を読みました。
原田正純さんというお医者さんの書いた「豊かさと棄民たち」という本でしたが、これを読むことで、水俣の問題がぐっと私に近づいてきた感じがしました。
海に近いまちはどこもそうかもしれませんが、水俣は、家々の目の前に海が広がる。
窓から糸をたらせば魚が釣れるのではないかというくらい海が身近な土地だから、子ども達はおやつ代わりに魚や、貝や、カニを食べる。
小さな子ほど、家にいる時間が長いから、一日中、お魚を食べている。
目の前の海で、新鮮な魚介がとれたら、誰だってそうしますよね。
水俣の人たちは、そんな当たり前の生活をしていて、病気になってしまった。
おやつ代わりに、せっせとカニを剥いて食べていた男の子や、貝をとってきてつついて食べていた小さな姉妹が、病気になってしまう。
原田さんの本にはまず、そういう例が書いてありました。
教科書的に書いてあるのだけでは分からないこと・・・いったい、その子たちはどんな気持ちだっただろう、親御さんはどんな気持ちだっただろうということを思うと、公害の問題は決して特別なことではないということが分かってきます。
水俣病は1956年に公式に確認され、1968年に国が公害と認めました。
私がお話を聞いた方は40代くらいの方でしたが、近しい友人にも視野狭窄の症状のある人がいるということで、「水銀を出さなくなったからといってその年からすぐに影響がなくなっているわけではないから、いくつまでの人が病気になっただろうとか簡単に区切れるものではないし、隣の市に住んでいるとか行政単位で分ければ水俣病とは関係ないと思われてしまうような人でも、水俣の魚を食べて影響を受けた人もいるはず。
私と同年代の40代の人の中にも、調子の悪い人はいる。視野が狭くなるとか、怪我をしても痛さを感じにくいとか、多くの人が何らかの体調不良を持っているはず」とおっしゃっていました。
ひとつには、あまりにも長年体調が悪いために、自分の視野が狭くなっていたり感覚の麻痺があることに気づかないということもある。それに、たとえ「調子が悪いな」と思っても、不調を訴えて差別を受けることを恐れる気持ちもあるのではないかということ。
ここで、私がどうしてもわからないのは、なんで病気になった人が差別されなくちゃならないのか、ということです。
差別の問題は、いつも気になっているのですが、なぜ差別というものが起きるのかがどうしても分かりません。
人を憎むというのは、結構エネルギーが要るでしょう。人を愛するのと同じくらいのパワーを使うと思います。しかも憎しみは、エネルギーを使うのに、生まれるのはマイナスだけ。差別される側だけじゃなくて、差別する側にとってだって決してハッピーなエネルギーじゃないはず。
にもかかわらず、病気だったり障害だったり出身や性別や、そういったものに対してなぜ憎しみが向けられるのかがどうしても分からない。
でも、この理由を見つけなければ、差別を無くすこともできないと思います。。
原田さんの本に「差別があるところに公害が生まれる」と書いてありました。
うーん・・・分かるような分からないような・・・と思っていたのですが、直接水俣の人からお話を聞いて、私なりにすこし理解ができました。
お話を聞く中で分かってきたこととしては、どうやら水俣はずっと昔々は、漁業をやっていた人はほんの少しだったようなのですね。
海の向こうには小さな島々があるわけですが、島に住んでいる人たちがだんだん多くなると島だけでは生活できなくなるから、新たな住まいや職を求めて水俣のほうに海を渡ってやってくる。そして、今まであまり人の住んでいなかった海沿いに住まい、漁業を始める。
元々住んでいた人たちは農業などをやっているから、生活スタイルがそもそも違うし、しかもどこからか人がやってきて住み始めたぞ、という警戒もある。そして海沿いに住む人たちは、どちらかというと貧しい生活をしていた。
なかなか地域が打ち解けない状態がある中で、チッソが工場を作り、そこで働く人が増えてくる。
一番に水銀の被害を受けるのは、漁業をやっている人たち・・・海沿いで貧しい生活をしていた人たち。
もともとの経緯があったところに公害が起きてしまった。
しかも、多くの人がチッソに依存した生活をしている。チッソがなくなったら困ってしまう。ならば海沿いで暮らし始めた「よそもの」が出て行けば良いじゃないか・・・というのが、一つの差別の形態として表れてくるわけです。
こうした地域内の問題のほかに、水俣以外の人たちとの関係もあります。
政治家なんかが時々、「水俣の人たちは本当は病気じゃなくても偽って申請してお金をもらえて良いなあ」なんていうことを言って問題になるというのを繰り返してきたようです。
あんまり腹が立つから、ついつい、お話を伺った水俣の人に、「なんでこんなことを言う奴がいるんでしょうかね?」という質問をしてしまいました・・・。それは、この方に聞いても分からないですよねぇ。。
「怠けている人のために税金を使ったりなんかしない」という趣旨の発言は、最近も別の問題であったようですが、そういう発言をする政治家は、当事者に会ったことがないのでしょう。当事者の苦しみを前にしたら、恥ずかしくてそんな発言はできないはず。
当事者に会わずに言っているということは、その人が勝手に想像して「怠けているはずだ」と判断しているわけです。人間っていうのは、自分と違う生き方をしている人と会って話してみたり、異なる価値観を知る努力をしたりというように、よっぽど努力しない限り、自分の持ち前の価値観からは抜け出せないものです。
当事者に会わずして、「偽って申請する人がいるはずだ」「怠けて税金の恩恵を受けている奴がいるはずだ」という発言をする人はきっと、ご自身が「いかにうまいこと税金で私腹を肥やしてやろうか」という価値観で生きてきて政治家になった人なのでしょう。・・・ふぅ、久々に腹が立った。
とにかく、地域内であれ外からであれ、どんな経緯があろうと、何の罪もない人たちが差別されることは絶対あってはならないはずだし、そんなことがあったら当事者が「ふざけるな!」とこぶしを振り上げないといけないはず。なのに、今もなお、差別を恐れて水俣病の申請をできずにいる人もいる。
それは、もしかしたら小さい頃から、「水俣病のことを話すと差別されるかもしれないから、黙っておくんだよ」と聞かされて育ったからなのかもしれないと思ったのでした。
それで、思ったのは、「大勢に楯突くのは一部の変わり者」という「世の中」があるのかなあ、ということです。チッソでみんなの生活が成り立っているんだから、たとえ病気になっても声をあげずに静かに暮らしていれば、他のみんなが幸せなんだよ・・・と。声をあげる「一部の人」の仲間になんかなっちゃいけない、と。
ここでふと、この感覚が、日本の社会の問題のすべてを表しているように思えてきました。
私は今、保育園民営化問題で修士論文を書いているんですが、練馬だけではなくて多くの自治体で、「保育園民営化に反対するのは一部の保護者だ」と首長が言います。
ハンセン病問題で、当事者が「差別から解放してくれてありがとう」と言っているうちは歓迎するのに、「なぜ差別するのか」と抗議したとたんに「ハンセン病患者は税金で生きているくせに・・・」とバッシングされたという問題も、根っこは同じである気がします。世の中の流れから頭ひとつでも飛び出すと、ぽこんと殴られる。
そういえば、昨年の今頃、私が名誉区民の議案に反対しようとしているときにも、いろんな人に「一部の議員が反対している」と言われました。
特定の立場の誰かではなくて、見事にあらゆる人に「一部の人が・・・」と呼ばれまして、しまいには区議会だよりにも「反対(一部)」と書かれていたので、「私は、【一部】という名前じゃないよ~」と、だんだん笑えてきまして(^^;
一人会派になった暁には会派名を「一部」にしようかと思っていたくらいでした。
こうやって笑いでもしなくちゃ、やっていられませんでしたぜ。
しかし、同じ状況に遭遇した時、誰もがこんな風にのんきに笑っていられるわけではないと思います。
「あなたが今発言したら、みんなと違う【一部の人】になっちゃんだよ」という圧力の前に苦しむ人はたくさんいるのではないかと思います。
差別の根っこは、積極的な憎しみではなくて、みんなと違う人を排除すること、みんなと同じであることに安心することによって生まれるものなのかもしれないと思ったのです。
そう考えると、水俣の問題は私達だれの心にも突きつけられる問題であるように思ったのでした。
それから、今は3,40代で若い人たちで視野狭窄などが起きている人たちは、今は自分の中で我慢してしまっていたりもするけれど、今後高齢化していく中では隠していられないほど体調不良が悪化していく心配もあるのではないかということを、お話を伺った方がおっしゃっていました。
水俣病の解決のための法律が先日できましたが、今までも何度も繰り返されてきた水俣病の解決策は、「高齢化の波の中で今できるだけ早く、問題解決をしないと生きているうちに解決できなくなってしまう」という切迫した状態に当事者を追い込みながら行なわれてきたのでした。
そう考えると、これで解決ではなく、これからも、まだまだこの問題は続いていくと思われます。
「水俣病」そのものも、そこからみえる社会のありようも、しっかりと、見ていきたいですね。
※かとうぎ桜子のHPはこちら
アメリカ旅行は、シアトルに移動してからは市のホールを見学したり、市民農園みたいなのやコミュニティセンターなどを見学させてもらいました。
コミュニティの活性化のための工夫をしているというお話で面白かったので、ブログにも書きたいのですが、書くためにまずは参考文献を読み直さないといけない・・・。
そして、これがなんと(当然)英語なもんですから(^^;)日本語を読む以上に時間がかかるため、修士論文と一般質問のメドがつくまで、アメリカ旅行記の続きをちょっと保留にさせてください・・・

(ちなみに、いい加減に好き勝手にブログを書いているように見えるかもしれませんが、日本国内のことを書くときも一応ちゃんと文献にあたってから書いているんですよ。文章に残るというのは怖いものですからねぇ・・・)
★水俣問題
先日、水俣病の問題に関わっている方からお話を聞く機会がありました。
公害の問題は、学校の頃習ったり、報道で聞くことはあっても、じっくり向き合う機会がありませんでした。
少し前に、友人が水俣に出かけたときの話を聞かせてくれて、それでハタと、「私も水俣のことをちゃんと勉強しよう」と思いました。
水俣に住んでいる人からお話を聞けることになったので、事前に本を読みました。
原田正純さんというお医者さんの書いた「豊かさと棄民たち」という本でしたが、これを読むことで、水俣の問題がぐっと私に近づいてきた感じがしました。
海に近いまちはどこもそうかもしれませんが、水俣は、家々の目の前に海が広がる。
窓から糸をたらせば魚が釣れるのではないかというくらい海が身近な土地だから、子ども達はおやつ代わりに魚や、貝や、カニを食べる。
小さな子ほど、家にいる時間が長いから、一日中、お魚を食べている。
目の前の海で、新鮮な魚介がとれたら、誰だってそうしますよね。
水俣の人たちは、そんな当たり前の生活をしていて、病気になってしまった。
おやつ代わりに、せっせとカニを剥いて食べていた男の子や、貝をとってきてつついて食べていた小さな姉妹が、病気になってしまう。
原田さんの本にはまず、そういう例が書いてありました。
教科書的に書いてあるのだけでは分からないこと・・・いったい、その子たちはどんな気持ちだっただろう、親御さんはどんな気持ちだっただろうということを思うと、公害の問題は決して特別なことではないということが分かってきます。
水俣病は1956年に公式に確認され、1968年に国が公害と認めました。
私がお話を聞いた方は40代くらいの方でしたが、近しい友人にも視野狭窄の症状のある人がいるということで、「水銀を出さなくなったからといってその年からすぐに影響がなくなっているわけではないから、いくつまでの人が病気になっただろうとか簡単に区切れるものではないし、隣の市に住んでいるとか行政単位で分ければ水俣病とは関係ないと思われてしまうような人でも、水俣の魚を食べて影響を受けた人もいるはず。
私と同年代の40代の人の中にも、調子の悪い人はいる。視野が狭くなるとか、怪我をしても痛さを感じにくいとか、多くの人が何らかの体調不良を持っているはず」とおっしゃっていました。
ひとつには、あまりにも長年体調が悪いために、自分の視野が狭くなっていたり感覚の麻痺があることに気づかないということもある。それに、たとえ「調子が悪いな」と思っても、不調を訴えて差別を受けることを恐れる気持ちもあるのではないかということ。
ここで、私がどうしてもわからないのは、なんで病気になった人が差別されなくちゃならないのか、ということです。
差別の問題は、いつも気になっているのですが、なぜ差別というものが起きるのかがどうしても分かりません。
人を憎むというのは、結構エネルギーが要るでしょう。人を愛するのと同じくらいのパワーを使うと思います。しかも憎しみは、エネルギーを使うのに、生まれるのはマイナスだけ。差別される側だけじゃなくて、差別する側にとってだって決してハッピーなエネルギーじゃないはず。
にもかかわらず、病気だったり障害だったり出身や性別や、そういったものに対してなぜ憎しみが向けられるのかがどうしても分からない。
でも、この理由を見つけなければ、差別を無くすこともできないと思います。。
原田さんの本に「差別があるところに公害が生まれる」と書いてありました。
うーん・・・分かるような分からないような・・・と思っていたのですが、直接水俣の人からお話を聞いて、私なりにすこし理解ができました。
お話を聞く中で分かってきたこととしては、どうやら水俣はずっと昔々は、漁業をやっていた人はほんの少しだったようなのですね。
海の向こうには小さな島々があるわけですが、島に住んでいる人たちがだんだん多くなると島だけでは生活できなくなるから、新たな住まいや職を求めて水俣のほうに海を渡ってやってくる。そして、今まであまり人の住んでいなかった海沿いに住まい、漁業を始める。
元々住んでいた人たちは農業などをやっているから、生活スタイルがそもそも違うし、しかもどこからか人がやってきて住み始めたぞ、という警戒もある。そして海沿いに住む人たちは、どちらかというと貧しい生活をしていた。
なかなか地域が打ち解けない状態がある中で、チッソが工場を作り、そこで働く人が増えてくる。
一番に水銀の被害を受けるのは、漁業をやっている人たち・・・海沿いで貧しい生活をしていた人たち。
もともとの経緯があったところに公害が起きてしまった。
しかも、多くの人がチッソに依存した生活をしている。チッソがなくなったら困ってしまう。ならば海沿いで暮らし始めた「よそもの」が出て行けば良いじゃないか・・・というのが、一つの差別の形態として表れてくるわけです。
こうした地域内の問題のほかに、水俣以外の人たちとの関係もあります。
政治家なんかが時々、「水俣の人たちは本当は病気じゃなくても偽って申請してお金をもらえて良いなあ」なんていうことを言って問題になるというのを繰り返してきたようです。
あんまり腹が立つから、ついつい、お話を伺った水俣の人に、「なんでこんなことを言う奴がいるんでしょうかね?」という質問をしてしまいました・・・。それは、この方に聞いても分からないですよねぇ。。
「怠けている人のために税金を使ったりなんかしない」という趣旨の発言は、最近も別の問題であったようですが、そういう発言をする政治家は、当事者に会ったことがないのでしょう。当事者の苦しみを前にしたら、恥ずかしくてそんな発言はできないはず。
当事者に会わずに言っているということは、その人が勝手に想像して「怠けているはずだ」と判断しているわけです。人間っていうのは、自分と違う生き方をしている人と会って話してみたり、異なる価値観を知る努力をしたりというように、よっぽど努力しない限り、自分の持ち前の価値観からは抜け出せないものです。
当事者に会わずして、「偽って申請する人がいるはずだ」「怠けて税金の恩恵を受けている奴がいるはずだ」という発言をする人はきっと、ご自身が「いかにうまいこと税金で私腹を肥やしてやろうか」という価値観で生きてきて政治家になった人なのでしょう。・・・ふぅ、久々に腹が立った。
とにかく、地域内であれ外からであれ、どんな経緯があろうと、何の罪もない人たちが差別されることは絶対あってはならないはずだし、そんなことがあったら当事者が「ふざけるな!」とこぶしを振り上げないといけないはず。なのに、今もなお、差別を恐れて水俣病の申請をできずにいる人もいる。
それは、もしかしたら小さい頃から、「水俣病のことを話すと差別されるかもしれないから、黙っておくんだよ」と聞かされて育ったからなのかもしれないと思ったのでした。
それで、思ったのは、「大勢に楯突くのは一部の変わり者」という「世の中」があるのかなあ、ということです。チッソでみんなの生活が成り立っているんだから、たとえ病気になっても声をあげずに静かに暮らしていれば、他のみんなが幸せなんだよ・・・と。声をあげる「一部の人」の仲間になんかなっちゃいけない、と。
ここでふと、この感覚が、日本の社会の問題のすべてを表しているように思えてきました。
私は今、保育園民営化問題で修士論文を書いているんですが、練馬だけではなくて多くの自治体で、「保育園民営化に反対するのは一部の保護者だ」と首長が言います。
ハンセン病問題で、当事者が「差別から解放してくれてありがとう」と言っているうちは歓迎するのに、「なぜ差別するのか」と抗議したとたんに「ハンセン病患者は税金で生きているくせに・・・」とバッシングされたという問題も、根っこは同じである気がします。世の中の流れから頭ひとつでも飛び出すと、ぽこんと殴られる。
そういえば、昨年の今頃、私が名誉区民の議案に反対しようとしているときにも、いろんな人に「一部の議員が反対している」と言われました。
特定の立場の誰かではなくて、見事にあらゆる人に「一部の人が・・・」と呼ばれまして、しまいには区議会だよりにも「反対(一部)」と書かれていたので、「私は、【一部】という名前じゃないよ~」と、だんだん笑えてきまして(^^;
一人会派になった暁には会派名を「一部」にしようかと思っていたくらいでした。
こうやって笑いでもしなくちゃ、やっていられませんでしたぜ。
しかし、同じ状況に遭遇した時、誰もがこんな風にのんきに笑っていられるわけではないと思います。
「あなたが今発言したら、みんなと違う【一部の人】になっちゃんだよ」という圧力の前に苦しむ人はたくさんいるのではないかと思います。
差別の根っこは、積極的な憎しみではなくて、みんなと違う人を排除すること、みんなと同じであることに安心することによって生まれるものなのかもしれないと思ったのです。
そう考えると、水俣の問題は私達だれの心にも突きつけられる問題であるように思ったのでした。
それから、今は3,40代で若い人たちで視野狭窄などが起きている人たちは、今は自分の中で我慢してしまっていたりもするけれど、今後高齢化していく中では隠していられないほど体調不良が悪化していく心配もあるのではないかということを、お話を伺った方がおっしゃっていました。
水俣病の解決のための法律が先日できましたが、今までも何度も繰り返されてきた水俣病の解決策は、「高齢化の波の中で今できるだけ早く、問題解決をしないと生きているうちに解決できなくなってしまう」という切迫した状態に当事者を追い込みながら行なわれてきたのでした。
そう考えると、これで解決ではなく、これからも、まだまだこの問題は続いていくと思われます。
「水俣病」そのものも、そこからみえる社会のありようも、しっかりと、見ていきたいですね。
※かとうぎ桜子のHPはこちら
3件のコメント
[C265] 朝のO学園駅で
- 2009-09-01
- 編集
[C266] Re: 朝のO学園駅で
こっしーさん
朝の駅で見てわざわざブログを訪れてくださったのですね。とても嬉しかったです。ありがとうございます。
若い女性でこちらを向いてくださる方はあまりたくさんはいないので、「もしかしたらあの方かな」と想像しています。
性別とか年齢とかで人は区別できないと思いつつも、同年代の人は投票率も低いし、どう感じていらっしゃるのかしら・・・と思っているので、コメントいただけるととても嬉しいです。
もし、朝の電車までに何分かでも時間がありましたら、ぜひお声かけください。嬉しいです。
私の方は、7時~8時半までひたすら思ってることをしゃべってるだけですから、止められても全然かまいません・・・というかむしろ声をかけていただいたほうが嬉しいので。
朝の駅で見てわざわざブログを訪れてくださったのですね。とても嬉しかったです。ありがとうございます。
若い女性でこちらを向いてくださる方はあまりたくさんはいないので、「もしかしたらあの方かな」と想像しています。
性別とか年齢とかで人は区別できないと思いつつも、同年代の人は投票率も低いし、どう感じていらっしゃるのかしら・・・と思っているので、コメントいただけるととても嬉しいです。
もし、朝の電車までに何分かでも時間がありましたら、ぜひお声かけください。嬉しいです。
私の方は、7時~8時半までひたすら思ってることをしゃべってるだけですから、止められても全然かまいません・・・というかむしろ声をかけていただいたほうが嬉しいので。
- 2009-09-01
- 編集
[C267] お返事ありがとうございます!
日本人、特に若いヒトはシャイですので、同じように心のなかで応援してるひともイッパイいると思います。
またお見かけして、時間があればご挨拶しまーす!
またお見かけして、時間があればご挨拶しまーす!
- 2009-09-02
- 編集
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O学園駅から通勤する一OLですが、駅で演説されてるのをみて、同じ位の女性なのにほんとに頑張ってらっしゃるな、と思いました。
お話しの邪魔しちゃいけないと思い通り過ぎてしまいましたが、自分もはげまされた気がしました。
大変でしょうが頑張ってください!