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人と人の対立

人と人が出会うと、引き合ったり対立したりします。

私が大学時代に興味を持ち、福祉に進もうと思ったきっかけは、「人と人の対立」の部分でした。

大学時代に入っていたダンスのサークルでも(女の子だけのダンスサークルに入ってました)、ボランティア活動をしていても、必ず人と人の対立がある。

例えばAさんとBさんの対立。
Aさん曰く、「私はこんなに頑張っているのに、それに比べてBさんの活動が少ないと思う。Bさんは根性がないんじゃないだろうか」。
Bさん曰く、「私は私の立場でできる精一杯をやっているのに、Aさんはなんだか冷たいので、会うのが気が重い」。

どちらか一方がとてもわがままだったりいやな奴なわけでもなく、不真面目なわけでもないのに、なぜか対立が起きる。
なんでなのかな、と興味深く思ったのです。

そして、間に仲裁に入る役割の面白さ。特段に場を設けて話し合うわけではなくても、「そうなんだね」と話を聞いたり、「もしかしたら相手は相手なりに頑張ってるのかも」なんて言ったりするうちに、少し関係が和らいだりする。
一対一では穴に落ち込んでしまうけど、間に誰かが入って、関係が三角形、四角形、となるにつれて、対立に変化を生むことができる。

この仲裁役を仕事にしたくて、福祉の道を選びました。

悪人なわけではないのに対立する、というのは、虐待の問題や、さらには国と国の戦争にも共通する部分があるように思います。

子どもや高齢者を虐待してしまう人は、悪人なわけではなく、相手を憎んでいるとも限らず、例えば「私はこんなに頑張ってお世話しているのに、この子はちっとも分かってくれないで、ぐずってばかりいる」という気持ちがあるかもしれません。

国と国の対立も「我が国はこんなに良い考えを持ってるというのに、あの国はなぜ分からないのか」というのがあるんではないかと。

それは一体なんなんだろうか、とここのところ考えるでもなく考えていてふと、社会福祉士の学校で習ったマズローの欲求段階説というのを思い出しました。

人間の欲求には段階がいくつかあり、まず生理的な欲求を満たしたい。
それが満たされると「安全」に対する欲求。
そして次に所属に対する欲求。
例えば私が「民主党のかとうぎ桜子です。」と名乗るのもそのひとつかもしれませんね。「ただのかとうぎ桜子です」と名乗るよりは安心なのかもしれません(笑)

所属の欲求が満たされると次に、誰かに認められたい、という欲求が生まれる。例えばうまく仕事を進めて、皆に「よくやった。ありがとう」と言われたい、という欲求ですね。

今まで書いてきた「私はこんなに頑張ってるのに」というせりふは、この「認められたい欲求」が満たされないことによるのではないかと、ふと思ったのです。
社会の中で生まれる問題―差別やいじめ―これらの元にはもしかしたら「認められたい欲求」のぶつかり合いがあるのではないでしょうか。
そうであれば、社会問題を解決するには大枠の制度を作るだけでは足りないはずです。
「なんであの人は私を認められないのか」と思うならば、相手の状況を理解し合うことが必要。
そして、自分自身の心に起きる無意識の欲求を知ることも必要になるのではないでしょうか。

「女性は子どもを産む機械」という発言が問題になりましたが、言ったご本人は謝りつつも、なぜ怒られてるのか分からないような顔をしていらっしゃった。
「機械」という表現自体が衝撃的ですが、それだけではなく「女子供を食わせてやるのは俺だ」という意識につながるものがあるのかなと思います。
どんなに頑張ってもなかなか無くならない女性蔑視は、男性が「女性より優位にいると認めてほしい」欲求のためかと。

だから本当に誰もが住みやすく愉快な気分で生きられる社会を目指すためには、まずは個人や地域に寄り添う必要があると感じています。

2件のコメント

[C24] 分かりますね^^

 こんばんは! 昨日はお疲れ様でした。 おじさんたちの無礼お許しください。m(__)m さて、う~ん、考えさせられましたね。 人間誰しも「認めて欲しい」という欲求はあるんじゃないのかな。 その”認めてもらいたい”の前段階として、仰る通り”生理的な欲求”であったり、”安全”であったり、それと”所属”に対する欲求ってあるんだと思います。 ただ、ウチの周囲にもいるけど、認めてもらいたい、でも、自己アピールが上手くできず、対人関係でうまくいかなくなり、トラブルを起こすのです。 でもね、やはり人間誰しも持って生まれた性格というものがあり、更にいろいろなトラウマを抱えている訳だから、なかなか性格を変えることは難しいのです。 そこを周囲がどうフォローしてあげるか、それが大事なのかもしれないですね。 例えば北朝鮮にしてもそうだけど、国を個人に置き換えると分かりやすいですよね。  話は元に戻りますが、私も時々ありますよ。「オレはこんなに頑張っているのにぜんぜん認めてくれない」なんて思うことが…。 だからどんな小さなことでも、人に助けてもらえば「ありがとう」は欠かさず、成果を求めてくれば、いい所を見つけて褒める、評価する、これは欠かさずにやっています。  どうも日本人は”否定的”に物事を見る傾向があり、欧米人が肯定的に物事を見るのと正反対じゃないですか。 もっと日本人もプラス思考になれば、もっと世の中平和になると思いますね。 長々と失礼しました。
  • 2007-02-27
  • 投稿者 : リバーマン@いいずみ
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  • 編集

[C25] リバーマンさん

いつもコメントありがとうございます。

リバーマンさんに何て返事書こうかなと改めて色々考えてみて思ったんですが、認められるかどうかが気になってしまうのは、もしかしたら認められにくい社会だからなのかも知れませんね。
いつだったかに私はブログで、落語の与太郎の話を書いたことがあったんですけど、多少失敗しても、「あはは、いいじゃないか。お前らしい生き方ができればいいじゃないか」と笑って認め合える社会ならば、躍起になって認められようとしなくてすむのかもしれません。
私は幸い友人や家族が、こんな私でも全然平気で受け容れてくれるから、同じ年代のほかの女性と多少違う人生を送っていても、別段気にせず楽しく生きていられるんだろうなと考えると、他人の評価が厳しすぎる社会が、辛いのかも知れませんよね。
もう少しゆったり、楽しく認め合える社会になるといいんですけどね…。
  • 2007-03-03
  • 投稿者 : かとうぎ桜子
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  • 編集

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プロフィール

かとうぎ桜子

Author:かとうぎ桜子
1980年生まれ。

保育士、ヘルパー2級、社会福祉士の資格を使って福祉の仕事をしてきました。
制度だけでは一人ひとりが安心して生活するまちを作るには不十分だと考え、誰もが安心できるまちのしくみ作りをしていきたいと考えています。

2007年4月の統一地方選で練馬区議会議員に初当選。

2010年3月、「市民参加と公共性―保育園民営化を契機として」と題する修士論文を書き、立教大学大学院・21世紀社会デザイン研究科を修了。

2011年4月 無所属で2期目に当選。

2011年末に子宮頸がんが見つかり、2012年春に円錐切除の手術をしました。その後は今のところ再発もなく元気に仕事しています。
この経験を活かし、がん検診の啓発など健康に関する課題にも取り組んでいこうとしています。

2015年4月、3期目に当選。

会派は市民ふくしフォーラム。

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