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立教大でのゲストスピーカー:その1

13日に立教大学でのゲストスピーカーとしての仕事がなんとかかんとか終わり、それから16日に私の企画した勉強会が無事終わりました。

どちらもご報告したいと思いながら、なんだか毎日ばたばたしていてなかなかできませんでした。

まずは13日のゲストスピーカーのことから、2回にわたってご報告します。

なかなかしゃべるのが上手にならない私をゲストスピーカーとして呼んでくださる人がいるとは、不思議だのう・・・というところなのですが。。どれだけお役に立てたことやら・・・。

でも、へたくそなりに精一杯やりたいと思ったから、2週間くらい私の頭はこの授業のことでいっぱいでした。。



今回の授業で私が話す内容は、ボランティアに関連した話ということでした。

私が学生時代に「ハッ」と思ってボランティアを始めたときのことと、それが今の仕事にどうつながっているかといううようなこと。


これ、なかなか難しいですよね。


まず、そもそもボランティアってなんだろう・・・みたいなところで、ちょっと考え込みました。
それで改めてボランティアに関する本を購入しまして、読んだんです。

そこに、ボランティアの定義として、「自発性があること」「社会性があること」「無償であること」と書いてありました。

さらに、自発性とは何か、というところに、

言われなくてもすることだが、同時に言われても(納得できなかったら)しないこと

と書いてありまして。おっ!これは良い!と私は思いました。

ほとんど無意識だったけど、私はいつもこの感覚のもとで行動していたなと思ったんです。


そこで次にぶち当たった問題は、「じゃあ、私はどんなときに自発的に動きたくなるんだろう・・・」ということでした。


自分の人生の転機はなんだったのか。なぜそれが転機だったのか。そのとき自分は何を感じていたのか・・・。
自分はこういうことをしたい、とか、こういうことが好きだ、というのは、直感的に感じる、ということも多いものですよね。

でもこの「直感」の正体って、なんなんだろう?


私が人生で初めて「ハッ」としたのは、17歳のときのハンセン病問題との出会いでした。
ただ病気になったというだけで差別をされる。しかも周囲は無関心。
苦しんでいるのに誰も気づいてくれない。「みんな、私の苦しみに無関心なんだ・・・」と思ってしまう状況なんて、とても苦しく、悲しいですよね。

私はこの「無関心」をどうにかしたいということが一番の思いだったような気がします。それで、そのために福祉の仕事をしたい、とか、さらに政治のほうにいこうとか思ったんですけれど。

でも、もともと私は慶應大学で国文学をやっていたのに、それとはまったく違う道を選んでいくほど「ハッ」とさせられた原動力ってなんだったんだろうって、改めて考えてみたのですが、なかなかその答えが見つからない・・・。



世の中には、知らない問題ってたくさんありますよね。
新聞で読んで少しだけ知ることもある。さらに深めたいと思って本を読んでみることもある。もう少し知りたいと思って講演なんかに行くこともある。さらにもう一歩踏み込んでその活動に参加する―そこに至るまではかなりハードルが高いはず。
でも、なにかしらの物事に対して、そこまで深く熱中することって、ありますよね。

たとえばボランティアなどだけではなくても、ふだんの生活の中―友人との関係、恋人との関係、趣味の活動、職業の選択などでも、何かを決断すること、行動に移すときって、あるわけですよね。


何かをしたいと思うときの「直感」は、すべてつながっている気がするのですが、じゃあ、それって何なんだろう・・・このことで、私は2週間くらいずーっと頭のなかがグルグルしていました。


みなさんにとって、人生の転機になるほど「ハッ」とする瞬間、それから行動にいたる原動力って、なんですか?


つづきはまた次回のブログで。


※かとうぎ桜子のHPはこちら

2件のコメント

[C327]

講演会お疲れ様です。ボラとは「自発性・社会性・無償」確かに。新宿西口公園のホームレスの方への炊き出しや「もやいの会」での生活相談を通して感じるのは、ボラ⇒誰でもできる福祉活動かな?自分の都合の良い時にしか参加しなくても良い自由さも大切ですね。炊き出しなどでも、主婦や若い学生さんが多い。単に食事の配給作業ですが、皆それぞれに、ホームレスの人に役立ちたい思いがあり、お互い見ず知らずだけどその思いを短時間で共有できる。加藤木さんも一度参加してみませんか?

人生における「はっ」とする瞬間。
私にとっては、学生時代自動車工場でのアルバイトかな?五反田にあるキャブレターという部品工場。社員200人位で、ラインがあり作業台の前で「モダンタイムス」みたいに単純作業の繰り返し。一日で手は重く、握力は利かなくなり「辞めたい」って思っていた。ある時同世代の女子工員の人と話す機会があった。彼女は私と同じ母子家庭に育ちながら、生保受給しながら育つ。兄弟3人居て、当時母子寮は子供2人しか入居できず住み込みでその工場に中卒で就職したとのこと。そして夜間高校も卒業。今思い返しても、ショッキングな話でした。私など親に甘え大学まで行かせてもらい。今では、音信不通ですが元気に暮らしてるかな?貧困問題って、決して「派遣切り」に始まったわけでなく、いつの時代でも色々な形であるわけで・・・。そんなことを、思い返しました。
してるかな?
  • 2010-05-22
  • 投稿者 : ジョン
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[C329] コメントありがとうございます

ジョンさんって、私の知り合いかしら、初めてコメントをくださったのかしらと思っていたのですが、いつもSHOGOさんというお名前で投稿をしてくださる方だったそうです。

ジョンとSHOGOとどう打ち間違えたのかが不思議でならないのですが(笑)、コメントありがとうございます。そしてお返事遅くなってすみません。

そうですか、SHOGOさんも原体験というのがあるのですね。
そうかー、そうなると私も、自分が思っているよりももっと前に戻るかもしれない、とふと気付きました。

私は小学生の時には練馬ではない都内のある地域で暮らしていたのですが、そこは町工場が多いということで有名で(という風に書いたらほとんど限定されると思いますが ^^;)、同級生の親御さんも、町工場で働くか、あるいは駅前で水商売などをしていました。

そのときは、子ども同士の社会もなかなかシビアで、あまりあのときに戻りたいとは思えないのですが、でも今になってみると改めて、同級生たちはあのとき、どんな生活をしていたんだろうか、そして今は幸せにしているのかなと、ちょっと気になります。

私が貧困問題とか虐待問題などがなんだか気になるのは、そんなところからかもしれません。原動力は実は自分自身の体験の、どろっとしたところからきている部分もあるのかな、なんてことを、SHOGOさんの体験談を読んで考えました。
  • 2010-06-08
  • 投稿者 : かとうぎ桜子
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プロフィール

かとうぎ桜子

Author:かとうぎ桜子
1980年生まれ。

保育士、ヘルパー2級、社会福祉士の資格を使って福祉の仕事をしてきました。
制度だけでは一人ひとりが安心して生活するまちを作るには不十分だと考え、誰もが安心できるまちのしくみ作りをしていきたいと考えています。

2007年4月の統一地方選で練馬区議会議員に初当選。

2010年3月、「市民参加と公共性―保育園民営化を契機として」と題する修士論文を書き、立教大学大学院・21世紀社会デザイン研究科を修了。

2011年4月 無所属で2期目に当選。

2011年末に子宮頸がんが見つかり、2012年春に円錐切除の手術をしました。その後は今のところ再発もなく元気に仕事しています。
この経験を活かし、がん検診の啓発など健康に関する課題にも取り組んでいこうとしています。

2015年4月、3期目に当選。

会派は市民ふくしフォーラム。

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