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大阪の子どものネグレクトの事件
大阪のほうで、2人の子どもが死んで発見され、親が逮捕されたという事件が報道されています。
亡くなった兄弟の、お姉ちゃんの名前が「桜子ちゃん」だったそうです。3歳。
たぶん、そのころ桜子という名前の主人公のドラマの人気があったから、今3,4歳くらいの子どもの名前で「桜子」というのはそんなに珍しくないのかもしれませんが、でもそんなにたくさんある名前でもないので、目に留まりました。
そして改めて新聞報道に目を通しましたが、書いてあるわずかな内容から想像するだけでも心の締め付けられる事件です。
まず、虐待で重篤な事件が起きる多くの場合は、関係者は頑張ろうとしていても人手不足でどうにもならないということが多いんですが、この事件はさすがにもう少し打つ手があっただろうという気がしてなりません。
時系列的に順番に書きたいと思います。
まず、新聞記事から判断するところによると、お母さんは19歳か20歳くらいで結婚して、たぶん20歳のときに「桜子さん」を出産。21歳か22歳で弟を出産しています。そして、この2番目の子が生まれるか生まれないかという時期に離婚して、ひとりで子育てを始めます。
離婚して半年くらいで風俗の仕事を始め、その半年後くらいからネグレクトが激しくなり、1歳と3歳の子どもを家に放置して戻らなくなってしまったようです。
この事実だけ並べてみても、2人の子が死ぬというひどい事態に至ったのは、お母さんだけのせいだと思えますか?私は、お母さんがかわいそうでならない気持ちです。逮捕された今の段階でお母さんはまだ23歳です。
23歳といえば、大学を出ていれば社会人1年目です。たくさんの社会の壁に初めて立ち向かう時期だけど、実家から通っていればまだまだ楽ができます。外でどんなにつらくても、家では家事は親御さんがやってくれるから。愚痴だって、家族が聞いてくれます。いくら外でつらいことがあっても、支えてくれる人がいる。
ちなみに私自身は19歳の時に母が亡くなって、父も祖母の介護をしていて私は実質一人暮らし状態だったのでちょっと違うのですが、私の大学の友人たちの多くは、少なくとも20代前半のうちは家事も精神的にも親に支えられている、という感じでした。
同年代の人を見ればかたやそんな生活をしている人もいるのに、2人の子どもを抱えてひとりぼっちで生きていかなければならないなんて、どんなにつらかっただろう。
性を売らないと生きていけないのです。お金の面でも子育てでも精神的な部分でも、誰も助けてくれないし、愛してもくれない。本来は愛を分かち合うはずの性行為を商品にしないと生きていけない。じゃあそもそも、目の前にいる2人の子どもも本当に[愛の証]だったのだろうかとさえ疑ってしまうかもしれない。性行為なんて所詮、性欲のはけ口でしかなかったのかもしれない、と。子どもが生まれたのも、その結果に過ぎないのかもしれない・・・。
そして、誰も自分を愛してくれないのに、子どもは自分に愛を求めてくる・・・。
子どもを放置した理由について、「子どもがいなければ良いと思った」という趣旨の供述をしていると新聞に書いてありました。
これをそのまま言葉通りに受け取って、「わがままな母親だ」と思うのはあまりにひどいと思います。
どうしてお母さんがそう思ってしまう前に誰も手を差し伸べられなかったのか。なんで子どもを抱えて性を売っている女性を誰も助けることができなかったのか。私たちはお母さんを責めるのではなく、自分自身を責めるべきだと思うのです。
新聞記事から客観的に判断できるのはこの程度のことですが、さらに考えれば、かなり若い年齢で結婚・出産をするに至るまでには、もしかしたら若いうちから親に頼って生きられないような理由があったのかもしれない、ということも少し気にもなります。
児童相談所は、何度か「子どもがひどく泣いている」という匿名の通報に従って訪問をしたけれど会えなかったと言っているそうです。そりゃあ親は子どもを置き去りにしていないのだから、いくらノックをしても出てこないでしょう。出てこなかったとしても、部屋のドアを開ける方法があるか、本当に子どもがいるかどうか、確認すべきだったと思います。
児童相談所が通報を受けていながら対応しきれなかったのは、2人の子どもが何カ月かの苦しみを味わいながら衰弱死をしてしまったというとても重い事実とあわせて、誰からも愛情を感じることのできない状態に追い詰められたお母さんを救うことができなかったという点でも、とても責任が大きいと思います。
やはり、福祉の問題―特に虐待やDV、貧困等の問題を考えるとき、性的搾取の問題に踏み込んでいくことがとっても必要なことだろうなと改めて思います。
※かとうぎ桜子のHPはこちら
亡くなった兄弟の、お姉ちゃんの名前が「桜子ちゃん」だったそうです。3歳。
たぶん、そのころ桜子という名前の主人公のドラマの人気があったから、今3,4歳くらいの子どもの名前で「桜子」というのはそんなに珍しくないのかもしれませんが、でもそんなにたくさんある名前でもないので、目に留まりました。
そして改めて新聞報道に目を通しましたが、書いてあるわずかな内容から想像するだけでも心の締め付けられる事件です。
まず、虐待で重篤な事件が起きる多くの場合は、関係者は頑張ろうとしていても人手不足でどうにもならないということが多いんですが、この事件はさすがにもう少し打つ手があっただろうという気がしてなりません。
時系列的に順番に書きたいと思います。
まず、新聞記事から判断するところによると、お母さんは19歳か20歳くらいで結婚して、たぶん20歳のときに「桜子さん」を出産。21歳か22歳で弟を出産しています。そして、この2番目の子が生まれるか生まれないかという時期に離婚して、ひとりで子育てを始めます。
離婚して半年くらいで風俗の仕事を始め、その半年後くらいからネグレクトが激しくなり、1歳と3歳の子どもを家に放置して戻らなくなってしまったようです。
この事実だけ並べてみても、2人の子が死ぬというひどい事態に至ったのは、お母さんだけのせいだと思えますか?私は、お母さんがかわいそうでならない気持ちです。逮捕された今の段階でお母さんはまだ23歳です。
23歳といえば、大学を出ていれば社会人1年目です。たくさんの社会の壁に初めて立ち向かう時期だけど、実家から通っていればまだまだ楽ができます。外でどんなにつらくても、家では家事は親御さんがやってくれるから。愚痴だって、家族が聞いてくれます。いくら外でつらいことがあっても、支えてくれる人がいる。
ちなみに私自身は19歳の時に母が亡くなって、父も祖母の介護をしていて私は実質一人暮らし状態だったのでちょっと違うのですが、私の大学の友人たちの多くは、少なくとも20代前半のうちは家事も精神的にも親に支えられている、という感じでした。
同年代の人を見ればかたやそんな生活をしている人もいるのに、2人の子どもを抱えてひとりぼっちで生きていかなければならないなんて、どんなにつらかっただろう。
性を売らないと生きていけないのです。お金の面でも子育てでも精神的な部分でも、誰も助けてくれないし、愛してもくれない。本来は愛を分かち合うはずの性行為を商品にしないと生きていけない。じゃあそもそも、目の前にいる2人の子どもも本当に[愛の証]だったのだろうかとさえ疑ってしまうかもしれない。性行為なんて所詮、性欲のはけ口でしかなかったのかもしれない、と。子どもが生まれたのも、その結果に過ぎないのかもしれない・・・。
そして、誰も自分を愛してくれないのに、子どもは自分に愛を求めてくる・・・。
子どもを放置した理由について、「子どもがいなければ良いと思った」という趣旨の供述をしていると新聞に書いてありました。
これをそのまま言葉通りに受け取って、「わがままな母親だ」と思うのはあまりにひどいと思います。
どうしてお母さんがそう思ってしまう前に誰も手を差し伸べられなかったのか。なんで子どもを抱えて性を売っている女性を誰も助けることができなかったのか。私たちはお母さんを責めるのではなく、自分自身を責めるべきだと思うのです。
新聞記事から客観的に判断できるのはこの程度のことですが、さらに考えれば、かなり若い年齢で結婚・出産をするに至るまでには、もしかしたら若いうちから親に頼って生きられないような理由があったのかもしれない、ということも少し気にもなります。
児童相談所は、何度か「子どもがひどく泣いている」という匿名の通報に従って訪問をしたけれど会えなかったと言っているそうです。そりゃあ親は子どもを置き去りにしていないのだから、いくらノックをしても出てこないでしょう。出てこなかったとしても、部屋のドアを開ける方法があるか、本当に子どもがいるかどうか、確認すべきだったと思います。
児童相談所が通報を受けていながら対応しきれなかったのは、2人の子どもが何カ月かの苦しみを味わいながら衰弱死をしてしまったというとても重い事実とあわせて、誰からも愛情を感じることのできない状態に追い詰められたお母さんを救うことができなかったという点でも、とても責任が大きいと思います。
やはり、福祉の問題―特に虐待やDV、貧困等の問題を考えるとき、性的搾取の問題に踏み込んでいくことがとっても必要なことだろうなと改めて思います。
※かとうぎ桜子のHPはこちら
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