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被災地でのボランティア①(気仙沼その1)
8月26日、27日に被災地に出かけてきました。8月初旬に議会の視察として行きましたが、今回はボランティアとしてです。
3月の震災以降、何ができるだろうかと悩みつつも、現地に行っての活動などはほとんどできていませんでした。
区民のみなさんに「震災の時に不安に感じたこと」「被災地のために実践していること」についてお聞きするアンケートを配ったり、「議会で視察に行きます」という報告を区民の皆さんにしたりしていましたが、そんな中で、毎週のようにボランティアに出かけているという方と知り合いました。
8月に議会で視察に行く前にもその方にお話を聞いていたのですが、やはり議会の視察だと大人数だし、なかなかじっくり見てこられず、ボランティアとして役に立つこともできなかったので、「これは改めていかなくては」という気持ちになりました。
今回、私は議員としてアポをとって行ったのではなくて、いつもボランティア活動をしている方が信頼関係を持っている場所に連れて行っていただいて、お手伝いをしたり、お話を聞くというスタンスです。
私も含めて4人で車に乗って出かけました。
まず、気仙沼へ。朝出かけて午後3時過ぎに到着しました。
以下が、気仙沼の街の様子です。


津波の水が襲った建物の室内の様子

震災が起きた直後には車道も通れないほどだったということですから、それに比べたら整理されてきてはいるということですが、建物はそのままだし、とてもまだ元通りに暮らせる状況ではないですね。
8月に視察に行った時には、石巻の駅からそんなに遠くない地域の一部を見ただけでしたが、本当に広い地域に被害が広がり、とてもじゃないけどもとの生活には程遠いことを改めて感じます。

おだやかであればきれいな海。でも、逆側に目を転じれば、津波の爪痕が残っています。

ちょっと分かりにくいですが、写真を拡大してみてください。
真ん中でくねっと曲がって倒れている棒状のものは、街灯です。
奥に見える船着き場の屋根が手前から向こうに向かって傾斜していますが、これはもともとは平らだったものが持ち上がって傾斜してしまっているのです。
海に近い多くの家が2階くらいの高さまで津波の被害を受けて、がらんとしてしまっている中に、猪苗代病院という病院があって、ここで片づけのお手伝いをさせてもらいました。

手前の建物も被災していますが、その奥に見えるのが病院の入口。さらに奥にある石段を上がると神社がありますが、この日はここに泊めさせてもらいました。
病院も水につかってしまっていたところを、ボランティアで少しずつきれいにしたり、だめになってしまった医療関係の道具を揃えたりしているとのこと。
暑い時期に、網戸も流されてしまってないという状況の中、ボランティアが網戸の木枠を作って張って作ったそうです。私が行った日は、この網戸が長持ちするように、腐食や虫食いを防ぐ塗料を塗りました。

うつっているのは一緒に行ったうちの一人であるNさん。
それから、院長先生が長く大事に使っていたたくさんの椅子が水につかってしまって金具の部分がさびてしまったということなので、錆をとって錆止めを塗るという作業も。

作業してるうちに暗くなってしまって、作業後に撮ったので暗くて見えにくいですが、錆止め後の椅子。
到着も遅くなってしまったし、作業をしているうちに夜になってしまったなあ・・・と思っていたら、神社にある自治会の会館で少し前まで避難所をやっていて今は商店街の復興に取り組んでいる方が、「会館に泊まっていけばいいよ」と声をかけてくれたのでした。
その話題はまた次回。
※かとうぎ桜子のHPはこちら
3月の震災以降、何ができるだろうかと悩みつつも、現地に行っての活動などはほとんどできていませんでした。
区民のみなさんに「震災の時に不安に感じたこと」「被災地のために実践していること」についてお聞きするアンケートを配ったり、「議会で視察に行きます」という報告を区民の皆さんにしたりしていましたが、そんな中で、毎週のようにボランティアに出かけているという方と知り合いました。
8月に議会で視察に行く前にもその方にお話を聞いていたのですが、やはり議会の視察だと大人数だし、なかなかじっくり見てこられず、ボランティアとして役に立つこともできなかったので、「これは改めていかなくては」という気持ちになりました。
今回、私は議員としてアポをとって行ったのではなくて、いつもボランティア活動をしている方が信頼関係を持っている場所に連れて行っていただいて、お手伝いをしたり、お話を聞くというスタンスです。
私も含めて4人で車に乗って出かけました。
まず、気仙沼へ。朝出かけて午後3時過ぎに到着しました。
以下が、気仙沼の街の様子です。


津波の水が襲った建物の室内の様子

震災が起きた直後には車道も通れないほどだったということですから、それに比べたら整理されてきてはいるということですが、建物はそのままだし、とてもまだ元通りに暮らせる状況ではないですね。
8月に視察に行った時には、石巻の駅からそんなに遠くない地域の一部を見ただけでしたが、本当に広い地域に被害が広がり、とてもじゃないけどもとの生活には程遠いことを改めて感じます。

おだやかであればきれいな海。でも、逆側に目を転じれば、津波の爪痕が残っています。

ちょっと分かりにくいですが、写真を拡大してみてください。
真ん中でくねっと曲がって倒れている棒状のものは、街灯です。
奥に見える船着き場の屋根が手前から向こうに向かって傾斜していますが、これはもともとは平らだったものが持ち上がって傾斜してしまっているのです。
海に近い多くの家が2階くらいの高さまで津波の被害を受けて、がらんとしてしまっている中に、猪苗代病院という病院があって、ここで片づけのお手伝いをさせてもらいました。

手前の建物も被災していますが、その奥に見えるのが病院の入口。さらに奥にある石段を上がると神社がありますが、この日はここに泊めさせてもらいました。
病院も水につかってしまっていたところを、ボランティアで少しずつきれいにしたり、だめになってしまった医療関係の道具を揃えたりしているとのこと。
暑い時期に、網戸も流されてしまってないという状況の中、ボランティアが網戸の木枠を作って張って作ったそうです。私が行った日は、この網戸が長持ちするように、腐食や虫食いを防ぐ塗料を塗りました。

うつっているのは一緒に行ったうちの一人であるNさん。
それから、院長先生が長く大事に使っていたたくさんの椅子が水につかってしまって金具の部分がさびてしまったということなので、錆をとって錆止めを塗るという作業も。

作業してるうちに暗くなってしまって、作業後に撮ったので暗くて見えにくいですが、錆止め後の椅子。
到着も遅くなってしまったし、作業をしているうちに夜になってしまったなあ・・・と思っていたら、神社にある自治会の会館で少し前まで避難所をやっていて今は商店街の復興に取り組んでいる方が、「会館に泊まっていけばいいよ」と声をかけてくれたのでした。
その話題はまた次回。
※かとうぎ桜子のHPはこちら
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