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被災地⑥ 石巻

昨日から議会が始まりました。その報告も書かなくてはいけませんが、長くかかってしまった8月末の被災地の報告を今回で終わります。

8月27日、短い被災地ボランティアの最後に、石巻駅の周辺に行きました。ここは、8月初旬の議会の視察の時にも行った地域です。


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避難所になっている湊小学校。

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その一角にピザを焼く窯があります。ピザの店をやる専門の人たちが、避難所の人の炊き出しとして時々、ピザを焼くのだそうです。
「最低限の生活」になりがちな避難所での生活に、潤いを与えるボランティアの活動はすごいなと感じます。


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小学校の前の信号はまだ復旧していません。当初、かなりの津波の水が来たので、歩道橋にあがって助かった方もいらっしゃったとか。

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道路の真ん中に、鯨の大和煮の缶詰を模した看板らしきものが落ちています。インターネットで調べたら、被災した「木の屋石巻水産」というところのもののようです。この会社も被災して復興に向けて頑張っている様子。(こちら
看板は車道ではない場所にとどまっているので、倒れたそのままになっています。


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まだまだ、壊れた車がそのまま置いてある場所も。


今回の旅に同行していたTさんの知り合いのCさんが、石巻に住んでいます。かつて、Tさんが家の泥を出すボランティアで関わりを持ったことがきっかけで、交流が続いているそうです。
今回は、ようやく獲れるようになった新鮮なカツオやサンマを持ってお邪魔して、一緒に食べました。
魚をさばいている間、Cさんのご家族とお話をしました。
一家は、津波が来た時、「まさかこっちまでは来ないだろうな」と思いながらも裏の山まで逃げたそうです。しかし、家の1階部分は壊れ、使えない状態に。しばらくは近くに住む兄弟の家に住まわせてもらっていたとか。
私たちが伺ったときにもまだ、1階部分の改修工事中でした。
津波の水が引いた当初、壊れてしまった慣れ親しんだ家を、とても見る気持ちになれなかったとおっしゃっていました。
お仕事も休んで復旧に当たり、ようやく4月に入って仕事に入れるかと思ったらまた大きな余震で大変な状況に戻り・・・という状態だったそうです。

近くの避難所からお弁当をもらってきて食べる生活から、ようやく電気やガスが戻って(ただガスはプロパン)、温かいものも食べられる状態になってきたというお話でした。

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視察の時にも行った、日和山公園では、この日はNPOが中心になってお祭りをやっていました。


旅で一緒だったEさんのお知り合いは、日和山公園近くの避難所にいらっしゃいました。
あと数日で仮設住宅に移るというところに訪ねて、少しお話を。
そろそろ寒い時期も近付いているし、生活に必要な品で揃えなくてはいけないものはあるんだろうか・・・と、私たちは心配になりますが、ご本人は「まずは、移ってみないことにはね・・・」。
半年近く避難所で生活をしてきた方が移るときの実感だろうな、と思いました。


石巻から仙台に出る電車はまだ全部直っていないので、電車→バス→電車と乗り換えるか、石巻駅から仙台駅への直通のバスに乗る必要があります。
東京から行く時は車で行ったのですが、そのまま現地に残る人が2人いたので、私とEさんは仙台までバスで向かうことにして、日和山公園近くの避難所から石巻駅に向かって歩きました。

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車のとおる大通りはだいぶ整備されているけど、一本入った商店街の道はまだこんな感じ。一度全部はがして道路工事をしているところ。


議会で視察に行った時はバスでの移動で、大きな被害を受けた地域を見てきましたが、議会で一緒に行ったみなさんとも、駅の周辺を少し歩いてみるということができたら良かったなあと、実際歩いてみて思いました。
道路がはがれていて、ほとんどの店がまだ営業を再開できていないという状態を見ると、改めて被害の大きさを感じます。



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震災とは関係ありませんが、表通りの商店街に仮面ライダーがいました。今は被災したため休館しているそうですが、石巻には石ノ森章太郎の漫画館があって、街の中にはこういうのが時々建てられているみたいです。

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石巻駅。

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石巻駅の駅舎もずいぶん可愛らしい。

駅の近くで、Eさんのお友達と待ち合わせをしました。
石巻に住んでいる人がお2人来てくれて、しばらくお話をしました。
私が特にお話を聞いた方は、飲食店を営んでいたけど店は壊れてしまい、今、新たな場所を借りて営業再開を目指して頑張っているということ。
ご高齢のご両親と被災したそうです。ご両親を車に乗せて逃げようと思ったらもう津波が迫っており、あわてて近くにあった立体駐車場にあがった。なんとか津波からは逃れたけど、水が引かないから立体駐車場で数日間、孤立してしまったそうです。
他にもここに逃げてきた人がいて、若い人たちがご高齢のご両親を気遣って、食べ物や飲み物を分けてくれたそうですが、それでも、脱水になってしまったそうです。
ご両親は最近はようやく落ち着いてきたということでした。

お店が再開したときには、飲みに行きたいなと思いました。




今回の旅で感じたことは色々あります。

まず、ずっと東京に住んでいる人にはイメージしづらいけど、土地がずーっと広いこと。同じ石巻市といっても町ごとに築いてきた歴史も文化もコミュニティーもそれぞれ違うということを考慮した復興を進めなければ、人の心の中にあるアイデンティティを崩してしまう恐れがあるから、丁寧に進めていかなければならないんだろうということです。

そして、人が生きるというのは、ただ何でもいいから食べて、ただ命があれば良いわけではないということを改めて考えさせられました。
家が壊れてしまって物理的に不便だったり、命を失うということだけではない喪失感です。

大切にしていたものがなくなってしまうこと-たとえば、Cさんは、「私の車が壊れてしまった。車自体は見つかったから、中にあったものはほとんど持ってくることはできたけど、車のCDプレイヤーの中に入っていたCD1枚だけはもう取ることができないの」とおっしゃっていました。

他の被害に比べればそれは小さいことだとか、買えばいいではないかとか、たぶんそういうことではないだろうと思います。
毎日車に乗り仕事に通っていた日常、その時聞いていたCDはもう戻ってこないんだという気持ち、ですよね。

被災地に住む方々とお話をさせていただいて、その気持ちを感じてこられたことは、とても重要なことだったと思っています。


今、被災地はまだまだ物理的にも大変な状況で、私たちが関わっていくことで少しでも良くしていかなければならない面はたくさんあります。
それとあわせて東京にいる私たちにできることは、被災地にいる人たちの「気持ち」に思いをはせることではないかと感じました。


※かとうぎ桜子のHPはこちら

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プロフィール

かとうぎ桜子

Author:かとうぎ桜子
1980年生まれ。

保育士、ヘルパー2級、社会福祉士の資格を使って福祉の仕事をしてきました。
制度だけでは一人ひとりが安心して生活するまちを作るには不十分だと考え、誰もが安心できるまちのしくみ作りをしていきたいと考えています。

2007年4月の統一地方選で練馬区議会議員に初当選。

2010年3月、「市民参加と公共性―保育園民営化を契機として」と題する修士論文を書き、立教大学大学院・21世紀社会デザイン研究科を修了。

2011年4月 無所属で2期目に当選。

2011年末に子宮頸がんが見つかり、2012年春に円錐切除の手術をしました。その後は今のところ再発もなく元気に仕事しています。
この経験を活かし、がん検診の啓発など健康に関する課題にも取り組んでいこうとしています。

2015年4月、3期目に当選。

会派は市民ふくしフォーラム。

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