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みんなに言いたいこと。

私が福祉の仕事を始めたおおもとの興味は「ボランティアってなんだろう」ってところでした。


大学時代にハンセン病や手話の関係でボランティアをやっていて、「うーむ・・・」と思って福祉の勉強をはじめ、ぐるっと回って最近やっぱりボランティアに戻ってきたんですが。


この選挙のことでもやっぱり「ボランティアってなんだろう・・・」ということをしみじみと考えてきました。


 


よく、アカデミー賞とか、何か賞を取ると感謝の言葉でずらずらと関係者の名前を挙げる挨拶があって、一体なんなんだろうと思ってたけれど、今ようやく私自身落ち着いてきて、やっぱ名前を挙げたい気持ちは分かる気がします。区内の人は近所関係など色々ありそうだからとりあえずあんまり挙げないようにしますが、ボランティアさんの中でも「これこそボランティアか!」と思った素晴らしい人たちの名前を、挙げてみたいと思います。ローマ字で書けば、誰だか分からないかなあと思って。それでもいやだ、と思った方はメールください。


ボランティアというと、日本では特に「無償」というところに重きが置かれるでしょうか。でもそれだけではないと思うのです。「自分がこれをやりたい!」という思いであったり、「まだ誰もやっていない」という先駆性であったりね。逆に、金銭的に無償であっても、名声を求めたり何らかの評価を求めるのは本当の意味でのボランティアではないと思います。


ものすごく主観的になっちゃいますが、私は主観的な人間なので、すみません。


私がどう福祉に貢献できるか悩んでいるときに、「議員になれば地域に貢献できるよ」と教えてくれたKUBOTAさん。それが今回の活動の出発点でした。どんなことで悩んでも、原点としてはKUBOTAさんの冷静な意見に戻ることで、私は自分を見失わずに来られました。


よし、じゃあ出てみようと、私一人で勝手に決めて、事後報告的に言ったにもかかわらず、一生懸命応援してくれた私の父。私がこの年齢で選挙に出るからには、身近に政治家がいたかと思われがちですが、全然そうではありませんでした。むしろ私の両親なんて、どうやって投票すれば良いのかよく分からない、みたいなぼんやり夫婦でしたから(^^;)母はすでに亡くなってますが、ぼんやりの片割れの私の父が、私が勝手に決めた「選挙に出る」という意思に振り回されながら、ほんとに一生懸命にこの1年頑張ってくれたのは、とても意外なことでした。


そしてその父の友達。TAKASAKIさんとTSURUGIさん。最初は私が出る祝いに来たつもりが、いつの間にか手伝ってくれていた。どんなことがあっても嫌な顔もせず、いつも温かい気持ちで、支えてくださいました。母が亡くなって以来、世の中の人は冷たいものだと思って私は生きてきました。40代、50代になったいい大人でも、20代の私に心無い言葉をぶつける人はたくさんいるということ、母が亡くなったときにしみじみ感じてきたので。世の中なんてまあそんなものかと思いながら生きてきた中で、久しぶりに心が温かくなったのは、TAKASAKIさんとTSURUGIさんのおかげ。「えー、人って、こんなに温かくなり得るんだ」って、しみじみ思ったのでした。


親戚のTERUMASAさん。その友人のCHIDAさんはじめ、お仲間の皆様。民主党から出る私とは、ちょっと立場は違ったけど、それを越えて、私が出たいと思う信念に共感してくださった。


TERUMASAさんの息子さんで、私の従兄弟の朗さん、和力の皆様も。ほんとは政治に関わったりしたくないはずなのに、私の存在そのものを心配してくださったこと、とても感じました。


福祉関係の方は、私は民主党じゃなくて違うところから出たほうが良いんじゃないのという声はたくさんありました。でも私は、浅野史郎さんについて書いたときに書いたように、新しいことをできる一つの方法だと思いましたし、本当にやりたいことがあれば党って関係ないと思ってます。どちらかというと私の知り合いやら友人やらは共産党に多い気もしますし(^^;)でもそんな狭いところじゃなくて、「社会がどうあるべきか」で共感しあえる仲間を増やすことが一番だと思うのです。党を超えたところで共感しあえる仲間が増えたのは嬉しかったです。前に書いた、無所属のでんだひろみさんもそうだけど。


自分が選挙準備中にも関わらず何度も大泉に足を運んでくださった川田虎男さん。川田さんは日高市議会議員選挙でトップ当選です。これからも自分を見失わないように、お互いにチェックしあって頑張ろうね。


わざわざ京都から来てくれたshin1さん。このブログではくじらベーコンの話で登場しましたが。。関東圏に住む友人でも忙しくて来られないという中で、わざわざ来てくれたなんて、どうやってお返ししたらいいのやら。


私の親戚TERUMASAさん、CHIDAさん、川田虎男さん、shin1さんが知り合ったきっかけはボランタリーフォーラムですが、その事務局だったANDOさん、SHIMIZUさん、SHIBATAさんがいつも気にかけてくださっていたことも、私の昔の職場の方々、特にGOTOさん、KOSHIIKIZAWAさんがよくメールくださったことも。実際に来てくださったかどうかがボランティアではないと思うのです。その人たちがいてくれると思うことで、私の心がどれだけ助かったか。


幼稚園の担任だったISO先生も、ピアノのFUJITA先生も、小学校のASADA先生も。


石神井台のMさん、大泉学園町1丁目のとんかつやさん、飲み屋さん。駅前の飲み屋さん。しょっちゅう事務所に来て黙々と作業をしてくれたHさん、Sさん。光が丘でいつも気にしてくれていたTさん、Nさん。


高校の友達で、自身がまだ仕事を始めたばかりで忙しいだろうにずっと気にかけてくれたYOSHIEちゃん。この子は誰よりも私のおバカな所も含めて知ってるはずなのに、ほんとに温かく見守ってくれたなあとありがたく思っています。


それからみんなに優しい中山幹雄さん。中山さんはほんとに優しくて、それは本当に社交辞令でない温かさで、いつも励まされました。選挙期間中にさめじま宗明さんの車に乗ってた中山さんが車から顔を出して「あとちょっとだから頑張るんだよ!」と言ってくれたその言葉で、私は選挙期間を乗り越えられたと思っています。


そして、大泉学園町と東大泉と、南大泉の皆様。その他、私を心配してくださったすべての皆様。


選挙が終わってありがとうって言っちゃいけないという決まりがあるんだって言われたんです。私は今回が初めてだからそういう決まりは全然分からないんですが。


友達から、「議員になったら、自分が皆さんに感謝される活動をするべきだから、皆に感謝する必要はないんじゃないか」っていわれたんだけど、でもやっぱ当たり前の感情としては感謝したいのですが。


だって私にはまだ何もないんだもの。


何もないのに、あり得ないくらい応援してくれた人がいるんだもの。


せめて「ありがとう」ってくらい言いたいんだけど。


でも言っちゃだめみたいだから、せめて、皆さんに見える形で頑張っていきます。


 


ボランティアについて改めて勉強したいと思ってます。


ボランティアってただ単に何かを無償でやることではないと思います。


無償って、お金のことだけではないと思うのです。


何もしなくても、心の問題。


「好きだよ」「楽しいね」と言い合える関係なのかなと思うのです。


 


私の力で返しきれるとは思いませんが、返せるように最大限頑張りますので、これからもどうぞ見守ってやってください。

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プロフィール

かとうぎ桜子

Author:かとうぎ桜子
1980年生まれ。

保育士、ヘルパー2級、社会福祉士の資格を使って福祉の仕事をしてきました。
制度だけでは一人ひとりが安心して生活するまちを作るには不十分だと考え、誰もが安心できるまちのしくみ作りをしていきたいと考えています。

2007年4月の統一地方選で練馬区議会議員に初当選。

2010年3月、「市民参加と公共性―保育園民営化を契機として」と題する修士論文を書き、立教大学大学院・21世紀社会デザイン研究科を修了。

2011年4月 無所属で2期目に当選。

2011年末に子宮頸がんが見つかり、2012年春に円錐切除の手術をしました。その後は今のところ再発もなく元気に仕事しています。
この経験を活かし、がん検診の啓発など健康に関する課題にも取り組んでいこうとしています。

2015年4月、3期目に当選。

会派は市民ふくしフォーラム。

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