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貧困と連帯保証人の問題
少し前の話になりますが、12月6日の区議会・委員会に「専決処分の報告について」という報告資料が出ました。この中に、「応急小口資金償還金に係る訴え」というものがあります。
応急小口資金は、練馬区の区民への貸付制度で、
・災害などで住宅・家財に被害を受けたために要する費用
・傷病の治療、介護に要する費用
・生活が困窮しているため、生活必需品の購入に要する費用
・就職、冠婚葬祭などに要する費用
・出産、修学支度金、区内転居などに要する費用
などに使えるというものです。
一般貸し付けでは20万円まで、医療など特に必要な時には最大60万円まで貸してもらえます。
この貸付を受けた人の中で、返済期限を経過しても返済を行わず、返還請求にも応じない人を訴えるというのが、今回の委員会報告の趣旨でした。
その中で、気になったことがあります。
「本人が生活保護の受給に至ったために返済できなくなった。その代わりに連帯保証人を訴える」というものです。
生活保護を受けるようになった本人は返済を免除されるのですが、連帯保証人はそれに伴って返済を免除されることはなく、本人の代わりに支払うことを求められるのです。
しかし、貸し付けを受けた本人がわざと返済しないのならばともかく、貸し付けではやりくりできないほど生活が苦しく、生活保護の受給に至ったにもかかわらず、その返済を連帯保証人に求めるということに、私は疑問を感じます。
本人が免除されているにもかかわらず、支払いを求められた連帯保証人(おそらくは本人の友人や知人、親戚などでしょう)はどう感じるでしょうか。
「あの人は自分が借りていたにもかかわらず、楽になって良いじゃないか。生活保護なんて受けて・・・」と思うかもしれません。
なんとか貸し付けで生活を立て直そうと努力したにもかかわらず、それがかなわず生活保護に至った場合、連帯保証人をしてくれた人との信頼関係も失ってしまうおそれがあるわけです。
これは、生活保護を受ける人の人間関係を悪化させ、本来その人を心身両面から支えるべき周囲の人たちの心の中に生活保護への差別意識を植え付ける危険さえあります。
まして、上記に掲げた貸し付けの理由をみれば分かるように、この貸付制度は、日常生活の中で最低限必要になるものへの貸し付けです。
病気、出産、冠婚葬祭など、突然おきる人生のイベントに貯蓄で対応することが困難な人が利用する制度であると考えれば、貸し付けを返済することや、貸し付けで生活を立て直すことが困難になり得るということは想像に難くないでしょう。
そこで生活保護受給に至るのは本人の責任ではなく、むしろ本来ならばはじめから貸し付けではなく生活保護を利用すべき状態だった可能性もあるわけです。
法的な解釈を担当している文書法務課に確認したら、次のような回答が返ってきました。
「生活保護受給は、練馬区の債権の管理に関する条例では債権放棄ができる場合の1つとして規定されている。しかし、練馬区の債権の管理に関する条例では、保証人による保証の付されている私債権等については、保証人に対して履行を請求しなければならないとされていることから、主たる債務者に対する債権放棄を行わず、連帯保証人に対し保証債務の履行を請求している。」
つまりは、本人が免除になっても連帯保証人に返済を求めることは問題ないんだという理由を示しているのでしょうが、やはり、「それでいいんだろうか・・・」という疑問をぬぐうことができません。
ただ、これは練馬区の貸し付け制度だけの問題ではありません。
失業した場合に、雇用保険などのセーフティーネットが利用できず、すぐに住宅を失ったり生活保護に至らざるを得ない人が増えているため、中間的に支える「第二のセーフティーネット」というものがあります。
たとえば、雇用保険を受給できない人が職業訓練を受講できるための給付金や、一定期間に限って家賃を支給する住宅手当などがあります。ただ、この中でも生活費が必要な場合には貸し付けというものがあって、貸し付けを受けるためにはやはり連帯保証人が必要となります。
つまり、国が用意している「第二のセーフティーネット」であっても、貧困状態で生活保護受給となり貸し付けの返済ができない場合には代わりに連帯保証人に返済を求めるしくみになっているわけです。
ここで今の制度をみて私たちが考え、議論していかなければならないのは、
・日々の生活必需品を購入するのも困難な状態にある人に先々の返済を求めることが妥当なのか。むしろ、生活保護よりももう少し短期で低額の給付を受けられるしくみを作る方がいいのではないか。
・本来、生活保護を利用したほうが良い状態の人が、「生活保護費の抑制」をするために貸し付けへと誘導されていることはないのだろうか。利用する本人に、利用できるすべてのサービスが示されて、それぞれのメリット・デメリットの説明を受けた上で利用しているのだろうか。貧困問題にかかわる各種の制度も、ほかの福祉制度(高齢、障害、子育てなど)と同様に利用者主体のしくみを目指すべきではないか。
ということです。
みなさんはどうお考えになりますか?
※かとうぎ桜子のHPはこちら
応急小口資金は、練馬区の区民への貸付制度で、
・災害などで住宅・家財に被害を受けたために要する費用
・傷病の治療、介護に要する費用
・生活が困窮しているため、生活必需品の購入に要する費用
・就職、冠婚葬祭などに要する費用
・出産、修学支度金、区内転居などに要する費用
などに使えるというものです。
一般貸し付けでは20万円まで、医療など特に必要な時には最大60万円まで貸してもらえます。
この貸付を受けた人の中で、返済期限を経過しても返済を行わず、返還請求にも応じない人を訴えるというのが、今回の委員会報告の趣旨でした。
その中で、気になったことがあります。
「本人が生活保護の受給に至ったために返済できなくなった。その代わりに連帯保証人を訴える」というものです。
生活保護を受けるようになった本人は返済を免除されるのですが、連帯保証人はそれに伴って返済を免除されることはなく、本人の代わりに支払うことを求められるのです。
しかし、貸し付けを受けた本人がわざと返済しないのならばともかく、貸し付けではやりくりできないほど生活が苦しく、生活保護の受給に至ったにもかかわらず、その返済を連帯保証人に求めるということに、私は疑問を感じます。
本人が免除されているにもかかわらず、支払いを求められた連帯保証人(おそらくは本人の友人や知人、親戚などでしょう)はどう感じるでしょうか。
「あの人は自分が借りていたにもかかわらず、楽になって良いじゃないか。生活保護なんて受けて・・・」と思うかもしれません。
なんとか貸し付けで生活を立て直そうと努力したにもかかわらず、それがかなわず生活保護に至った場合、連帯保証人をしてくれた人との信頼関係も失ってしまうおそれがあるわけです。
これは、生活保護を受ける人の人間関係を悪化させ、本来その人を心身両面から支えるべき周囲の人たちの心の中に生活保護への差別意識を植え付ける危険さえあります。
まして、上記に掲げた貸し付けの理由をみれば分かるように、この貸付制度は、日常生活の中で最低限必要になるものへの貸し付けです。
病気、出産、冠婚葬祭など、突然おきる人生のイベントに貯蓄で対応することが困難な人が利用する制度であると考えれば、貸し付けを返済することや、貸し付けで生活を立て直すことが困難になり得るということは想像に難くないでしょう。
そこで生活保護受給に至るのは本人の責任ではなく、むしろ本来ならばはじめから貸し付けではなく生活保護を利用すべき状態だった可能性もあるわけです。
法的な解釈を担当している文書法務課に確認したら、次のような回答が返ってきました。
「生活保護受給は、練馬区の債権の管理に関する条例では債権放棄ができる場合の1つとして規定されている。しかし、練馬区の債権の管理に関する条例では、保証人による保証の付されている私債権等については、保証人に対して履行を請求しなければならないとされていることから、主たる債務者に対する債権放棄を行わず、連帯保証人に対し保証債務の履行を請求している。」
つまりは、本人が免除になっても連帯保証人に返済を求めることは問題ないんだという理由を示しているのでしょうが、やはり、「それでいいんだろうか・・・」という疑問をぬぐうことができません。
ただ、これは練馬区の貸し付け制度だけの問題ではありません。
失業した場合に、雇用保険などのセーフティーネットが利用できず、すぐに住宅を失ったり生活保護に至らざるを得ない人が増えているため、中間的に支える「第二のセーフティーネット」というものがあります。
たとえば、雇用保険を受給できない人が職業訓練を受講できるための給付金や、一定期間に限って家賃を支給する住宅手当などがあります。ただ、この中でも生活費が必要な場合には貸し付けというものがあって、貸し付けを受けるためにはやはり連帯保証人が必要となります。
つまり、国が用意している「第二のセーフティーネット」であっても、貧困状態で生活保護受給となり貸し付けの返済ができない場合には代わりに連帯保証人に返済を求めるしくみになっているわけです。
ここで今の制度をみて私たちが考え、議論していかなければならないのは、
・日々の生活必需品を購入するのも困難な状態にある人に先々の返済を求めることが妥当なのか。むしろ、生活保護よりももう少し短期で低額の給付を受けられるしくみを作る方がいいのではないか。
・本来、生活保護を利用したほうが良い状態の人が、「生活保護費の抑制」をするために貸し付けへと誘導されていることはないのだろうか。利用する本人に、利用できるすべてのサービスが示されて、それぞれのメリット・デメリットの説明を受けた上で利用しているのだろうか。貧困問題にかかわる各種の制度も、ほかの福祉制度(高齢、障害、子育てなど)と同様に利用者主体のしくみを目指すべきではないか。
ということです。
みなさんはどうお考えになりますか?
※かとうぎ桜子のHPはこちら
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