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気仙沼に行ってきました
9月2日と3日、宮城県気仙沼に出掛けてきました。
気仙沼には2011年夏から、区民の皆さんをお誘いしながら定期的に訪ねていっていますが、次回は冬場に行きたいと考えていて(12,1月あたりは寒いこともあってか、旅行客が減ってしまうと聞いたためです)、今回は一人でその下見に行ったのです。
最近の私たちの旅は、仮設の商店街でお買い物をし、交流をし、市内や陸前高田をタクシーで案内してもらうという旅程でしたが、これから先も訪問を続けるにあたって、新たな活動内容を考えていきたいと思っているのです。
東日本大震災から2年半になります。
東京に住む私たちは、もともと東北にご実家、親戚、お友達がいるということがなければ、震災直後と比べて、時間がたつごとに震災のことを忘れてしまいがちかもしれません。
だから私は、忘れてしまわないきっかけを作りたいと思うのですが、その際に、「被災地」という言葉でひとくくりにしてしまうことから脱却したいと思っています。
ちょうど今週のNHKの朝のドラマ「あまちゃん」で、東日本大震災が起きた頃のことが描かれていますが、主人公のアキちゃんが「私の知っている北三陸が、〈被災地〉になってしまった」と戸惑っている場面がありました。もともと東北に縁のあった人ほど、こうして括られることへの戸惑いを感じた人は多かったのではないかと想像します。
これは、震災に限らず、人生の途中で病気をしたり事故にあったり、犯罪にあったりなど、思いがけない出来事に出合ったとき、その当事者が「障害者」「高齢者」「犯罪被害者」などと括られていき、その「括られる名詞」と、もとの「固有の自分」との落差に感じる違和感ともつながるかもしれません。
私は残念ながら、震災が起こる前の東北とはつながりがありませんでしたが、今からでもこの「被災地」という「括る言葉」から抜け出す関係づくりができればと思っています。
ひとつの名詞で括らずに、固有名詞を感じるようにしたいのです。
「被災地に応援に行く」のではなくて、「気仙沼で親しくなった商店街の坂本さんに会いたいから行く」のだと思っているし、そういう友人がこれから気仙沼の地に増えていったらいいなと思っています。
そうじゃないと、本当に「ともにその地域を考える」ことができないのではないかと思うのです。
それから、東日本大震災をきっかけにして、私は被災そのもののことだけではなく、東京を中心とする都心部と、地方との関係を考えさせられました。
今回、気仙沼市内を移動しているときに、タクシーの運転手さんが「気仙沼ではカツオが水揚げされるんだよ。カツオの漁船は、九州や四国から何か月もずっと漁を続けて気仙沼に来る。そしてそのカツオを、東京の人が食べるんだよ」と言いました。

ほんとにその通りだなとしみじみ思いました。
原発事故によって私たちは、東京の便利のために地方に危険を押し付けてきたことを考えさせられましたが、都心中心の生活が押し付けたものはほかにもたくさんあって、例えば漁業とか農業とか、大変なお仕事を地方の人たちがやっていて、都心の人はそれを美味しくいただくだけ。その仕事に携わる人が日々どんな思いでいて、どんな人生を送っているかなど想像することなどもせずに、消費してきたのが東京に住む私たちだと思ったのです。
震災からの復興がなかなか進まないのも、こうした都心と地方との関係がいまだ改善されていないことが影響しているように思います。
だから、私たちが東京から出掛けて行って単に見て歩いて「まだまだ進んでいないね」と他人事のように言うだけではいけないと思うし、ましてや「応援して元気づけてあげる」なんて言うのはおこがましいと思うのです。
遠く東京に住む私たちには、観光旅行くらいしかできないという面はあるかもしれません。ほかの場所に旅行に行く代わりに東北に出かけて、せめて買い物だけでもしようと思う人もいるでしょうし、私もそれくらいしかできないと思ってもいます。でも、やっぱり観光は観光でしかないので、それをしたからといって「応援してあげた」とは言えないですよね。「観光での応援」をするとしても、同時に私たちはその限界を感じることは必要ではないかと思います。
じゃあ、私たちが震災から少しでも教訓を得て、少しでもできることは何かと考えると、やはり痛みをともに分かちあう友人関係を作っていくことではないかと思います。それは震災のことだけ取り出すのではなく、普段の生活について一緒にお話する機会を作っていくことから始まるのではないかと思います。
そんなわけで、今回は知り合いからボランティアセンターと介護事業所の方を紹介していただき、会いに行ってきました。次回、気仙沼に行くときに、仮設住宅あるいは福祉施設などを利用している住民の方と一緒に交流することができればと考えているのです。
12月または1月に行きたいと考えていますので、ご関心のある方はぜひかとうぎ桜子事務所にお問い合わせください。

気仙沼復興商店街・南町紫市場には新しく「ほやボーヤ」の壁画ができていました。

気仙沼から船で25分ほどの距離にある大島には初上陸しました。ここにある介護事業所を訪ねるためです。残念ながら火曜日は島のタクシー会社が定休日で、島全体を見ることはできませんでしたが…次回はできれば大島で宿泊をして、デイサービスと交流ができたらいいなと思います。

これは、大島を歩きながら撮影した写真。
気仙沼には2011年夏から、区民の皆さんをお誘いしながら定期的に訪ねていっていますが、次回は冬場に行きたいと考えていて(12,1月あたりは寒いこともあってか、旅行客が減ってしまうと聞いたためです)、今回は一人でその下見に行ったのです。
最近の私たちの旅は、仮設の商店街でお買い物をし、交流をし、市内や陸前高田をタクシーで案内してもらうという旅程でしたが、これから先も訪問を続けるにあたって、新たな活動内容を考えていきたいと思っているのです。
東日本大震災から2年半になります。
東京に住む私たちは、もともと東北にご実家、親戚、お友達がいるということがなければ、震災直後と比べて、時間がたつごとに震災のことを忘れてしまいがちかもしれません。
だから私は、忘れてしまわないきっかけを作りたいと思うのですが、その際に、「被災地」という言葉でひとくくりにしてしまうことから脱却したいと思っています。
ちょうど今週のNHKの朝のドラマ「あまちゃん」で、東日本大震災が起きた頃のことが描かれていますが、主人公のアキちゃんが「私の知っている北三陸が、〈被災地〉になってしまった」と戸惑っている場面がありました。もともと東北に縁のあった人ほど、こうして括られることへの戸惑いを感じた人は多かったのではないかと想像します。
これは、震災に限らず、人生の途中で病気をしたり事故にあったり、犯罪にあったりなど、思いがけない出来事に出合ったとき、その当事者が「障害者」「高齢者」「犯罪被害者」などと括られていき、その「括られる名詞」と、もとの「固有の自分」との落差に感じる違和感ともつながるかもしれません。
私は残念ながら、震災が起こる前の東北とはつながりがありませんでしたが、今からでもこの「被災地」という「括る言葉」から抜け出す関係づくりができればと思っています。
ひとつの名詞で括らずに、固有名詞を感じるようにしたいのです。
「被災地に応援に行く」のではなくて、「気仙沼で親しくなった商店街の坂本さんに会いたいから行く」のだと思っているし、そういう友人がこれから気仙沼の地に増えていったらいいなと思っています。
そうじゃないと、本当に「ともにその地域を考える」ことができないのではないかと思うのです。
それから、東日本大震災をきっかけにして、私は被災そのもののことだけではなく、東京を中心とする都心部と、地方との関係を考えさせられました。
今回、気仙沼市内を移動しているときに、タクシーの運転手さんが「気仙沼ではカツオが水揚げされるんだよ。カツオの漁船は、九州や四国から何か月もずっと漁を続けて気仙沼に来る。そしてそのカツオを、東京の人が食べるんだよ」と言いました。

ほんとにその通りだなとしみじみ思いました。
原発事故によって私たちは、東京の便利のために地方に危険を押し付けてきたことを考えさせられましたが、都心中心の生活が押し付けたものはほかにもたくさんあって、例えば漁業とか農業とか、大変なお仕事を地方の人たちがやっていて、都心の人はそれを美味しくいただくだけ。その仕事に携わる人が日々どんな思いでいて、どんな人生を送っているかなど想像することなどもせずに、消費してきたのが東京に住む私たちだと思ったのです。
震災からの復興がなかなか進まないのも、こうした都心と地方との関係がいまだ改善されていないことが影響しているように思います。
だから、私たちが東京から出掛けて行って単に見て歩いて「まだまだ進んでいないね」と他人事のように言うだけではいけないと思うし、ましてや「応援して元気づけてあげる」なんて言うのはおこがましいと思うのです。
遠く東京に住む私たちには、観光旅行くらいしかできないという面はあるかもしれません。ほかの場所に旅行に行く代わりに東北に出かけて、せめて買い物だけでもしようと思う人もいるでしょうし、私もそれくらいしかできないと思ってもいます。でも、やっぱり観光は観光でしかないので、それをしたからといって「応援してあげた」とは言えないですよね。「観光での応援」をするとしても、同時に私たちはその限界を感じることは必要ではないかと思います。
じゃあ、私たちが震災から少しでも教訓を得て、少しでもできることは何かと考えると、やはり痛みをともに分かちあう友人関係を作っていくことではないかと思います。それは震災のことだけ取り出すのではなく、普段の生活について一緒にお話する機会を作っていくことから始まるのではないかと思います。
そんなわけで、今回は知り合いからボランティアセンターと介護事業所の方を紹介していただき、会いに行ってきました。次回、気仙沼に行くときに、仮設住宅あるいは福祉施設などを利用している住民の方と一緒に交流することができればと考えているのです。
12月または1月に行きたいと考えていますので、ご関心のある方はぜひかとうぎ桜子事務所にお問い合わせください。

気仙沼復興商店街・南町紫市場には新しく「ほやボーヤ」の壁画ができていました。

気仙沼から船で25分ほどの距離にある大島には初上陸しました。ここにある介護事業所を訪ねるためです。残念ながら火曜日は島のタクシー会社が定休日で、島全体を見ることはできませんでしたが…次回はできれば大島で宿泊をして、デイサービスと交流ができたらいいなと思います。

これは、大島を歩きながら撮影した写真。
- 2013-09-06
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