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colaboの「夜の街歩きスタディーツアー」&報告会への参加
昨年(2014年)秋、保谷駅前公民館でおこなわれた、仁藤夢乃さんと稲葉隆久さんの講演会に参加しました。(その時の詳細はこちらのブログをご覧ください。)
仁藤さんたちはcolaboという団体を作り、繁華街にいたりJKビジネスなどで働いている若い子たちに声をかけ、相談に乗る活動をしています。
実際、若い子を取り巻く環境がどうなっているのか、街の状況を見て歩くスタディツアーもやっているということで、講演を聞いてからずっと参加したいと思っていたのですがなかなかタイミングが合わず、ようやく5月下旬に参加してきました。また、ちょうど街歩きに参加した1週間後に開催されたcolaboの活動報告会にも参加することができました。
仁藤さん自身が高校生の頃、家にも学校にも自分の居場所を見つけられず、都心の繁華街で寝泊まりした経験があったとのこと。そこでできた友人たちも同様に、親との関係がうまくいかないなど家に帰りづらい事情を持っているのだけれど、繁華街にいて声をかけてくる大人は、性的に搾取しようとする大人や、安い労働力として使おうとする大人ばかりだったそうです。女の子だと性産業、男の子だと本来ならば経験知識がないとできないような危険な労働に安く従事させようとしたり、あるいは犯罪に加担するようなことで働かせようとされるということです。
仁藤さんは、こういう「利用してやろう」というんじゃない、仁藤さんをひとりの人間として尊重してくれる大人に出会えるきっかけがあって、今はこうした問題を社会に発信する活動ができるようになっていると聞きました。
講演で聞いた話によれば、働いている子たちがお店のチラシを作る部分にもかかわるなど、やりがいをもって仕事ができるようなしくみがあったり、お店の人が話を聞いてくれる・相談に乗ってくれるということもあって、居心地のいい「居場所」となっていく面があるようです。
たとえばメイドカフェと聞くと比較的気軽に行ってみようかと思う人もいるかなとも思うのですが、働く側にとっても働き始める入口のハードルがとても低いのだと思います。女の子自身が「危険な目にあう可能性のある仕事」とは思わずに働き始める場合も多いのだろうと感じました。
JKビジネスの場合、客が女の子と一緒に散歩をするとかマッサージをするとかいうものだということなのですが、そこに「ハグをする」などのオプションがあったり、さらに性的なことをする裏オプションがあったりもするそうですし、客と女の子だけになる場面があれば性被害の危険は当然あるでしょう。
それまでその場が自分にとってやりがいや居心地の良さを感じられる場所だったら、そして学校や家庭や地域に居場所がないと感じている子であったら、たとえ被害にあってもなかなかその場所から抜け出すことができない場合もあるでしょうし、そこが大事な場所だと思っていた分だけ被害を受けたダメージも大きいものになってしまうであろうことは想像できます。
誰でも通ることのできる明るい繁華街の中で10代の女の子たちが客引きをしていて、道行く人はそれが景色の一部であるように当たり前に受け止めてしまっている―それが今の東京で繰り広げられています。
また、街には「アイドル」のDVD、アダルト系のDVDを売っている店があり、その中には明らかにどう見ても10歳にもなっていないこどもたちのDVDが売っています。パッケージを見るとその子たちは水着などを着て、性的と思われるポーズをとって写っています。しかし、一応は着ているので、児童ポルノとはみなされないとのこと…。
その子たちがもう少し大きくなって自分がさせられていたことの意味に気づいたとき、どのような打撃を受けるだろうかと考えるだけで許しがたいですが、それも、法的には問題ないと放置されているのが、今の日本の状況でもあります。
お話を聞いてから自分で注意して見ながら街を歩いてみると、実は街の中には女の子に声をかけるスカウトの人がいるということも気づいてきます。
街中にはところどころにホストクラブや風俗などの「高給アルバイト」の紹介のあるフリーペーパーが置いてあるので、家に帰れないからすぐに仕事をしてひとまずのお金を得たい人がすぐ手に取れるようになっています。
そして街中にはところどころにコインロッカーがあります。家出をしてきた子はコインロッカーに荷物を入れているから。需要があるから、よく見ていると街の中にちょいちょいコインロッカーがあるのです。
駅でもない、居酒屋や風俗店が雑然とある繁華街にちょいちょいコインロッカーがあるというのも考えてみれば不思議なことなのに、こうした状況を聞いてみるまで私は全然気づいていなかったことにも衝撃を受けました。
このような繁華街を歩きながら女の子たちの取り巻く環境を見て、そして私自身の人生を振り返ってみて改めて思うのは、私も(そしておそらくほかの多くの人も)こどもの頃から性被害の危険にさらされ続けている社会であるということです。
その子を本気で被害から守ろうという大人がいなければ、あっという間に巻き込まれてしまう社会だと思います。
私は小学生から高校生くらいまではよく痴漢の被害にあっていたし、大学生、社会人と進む中では今度は言葉を中心としたセクシュアルハラスメントの被害にあってきた経験があります。
「この程度のことは嫌でも我慢すれば済むことなんじゃないか」と言われたり思わされたりする経験もしながら、「でも本当にそうだろうか」と、女性に起こる性被害や女性の人権について学ぶ中で、「やはり、被害者が我慢して済ませるべき問題ではない」と私は思えるようになったけれど、それでも性的に不快なことを言われたりされたりしたときに明確に「それは不快だ」と言えるようになったのはほんのこの数年だし、それは議員になってからも何度も性的侵害を受けそうな不快な経験を繰り返しながら最近になってようやくだいぶ自分を守るすべを身につけられてきたように思います。
もっと小さいうち、若いうちは危険を未然にキャッチする力もまだ十分でないですから、自分自身で明確に自分を守ることはできないので、「自己効力感」を失った感じがして余計に傷つくのですが、私の場合は小さいうちは物理的に家に逃げ帰ることでそこをリカバリーできていたのだと思います。
ただうちの母は「被害にあうのはぼんやりしているあなたが悪いのよ」と言うような、典型的に二次被害を与えているタイプの人だったし、私に対する依存が強い人だったので、私が19歳の時に亡くなった母がもう少し長生きしていたら、私も「家は逃げ場所・居場所にならない」と思うようになっていたかもしれませんが。
それでもなんとかやってこられたのは、そのときどきで支えてくれる友人や周りの大人がいたり、「つらい思いをするのは自分のせいではない」という気持ちの土壌となる情報を得られるきっかけがあったりしたからだと思います。
こうした縁を得られるかどうかは本当に運でもあるとも思います。私と母の関係を思い起こしても、ほんとにしみじみ思います。
若くて人生経験もまだ少なく、辛いことから身を守るすべをまだ身につけていない人につけ込んでくる大人(それは性的なことだけではなくて、色々な面で)は残念ながら私たちの周りにもたくさんいます。
そうした搾取や攻撃の被害にあったときに人的サポートや情報がなく、立ち直れない打撃を負って自分の存在自体を肯定できないところまでになってしまうことは、ちょっとしたタイミングで誰にでも起こりうるのではないでしょうか。
まだ10代にもなっていないような子までもがその渦中に巻き込まれてリカバリーできない状態に置かれている現状を見過ごしてはいけないと思います。
そして、私が小中高校生だったころを振り返ると、私の級友にも本当はつらい気持ちを抱えた子がいたかもしれない、とも思います。でも当時の私にはそのことに気づくアンテナがまだなかったから、友人たちに対して何もできなかったということを心の痛みとともに感じます。だから今からでも私にも何かできないかと思います。
5月末のcolaboの報告会では、女の子たちが書いた文章もいくつか紹介されていました。児童相談所や施設の職員は仕事としての範囲内で関わっていると感じてそれに傷ついてきたことなども言われていました。
性産業ではスカウトの人やお店の店長が女の子たちに節目節目の良いタイミングで声かけをし、その子の性格に合ったお店に配置し、相談に乗り、励まし、役割を作るといったことをしているそうです。それに比べると福祉の専門職は女の子のいるところに出向いて声をかけていくことも少ないし、SNSなどで若い子たちが「つらい」と発信してもその声をキャッチできているわけでないし、スカウトの人たちに全然追いつけていない現状があるのだと、仁藤さんがおっしゃっていました。
スカウトの人に対抗して、若い子たちに友人として声を掛け合える関係を広げていかないと、居場所がないと感じる子たちはどんどん搾取されていく方向、つらい状況へと向かっていってしまう、と。
こうしたお話を聞き、スタディツアーにも参加して、私はそれからずっと、「私には何ができるのか」と考え込んでいます。
仁藤さんや稲葉さんは「まずは現状を知り、知ったことを周りに伝え、そして若い子たちを取り巻く現状をもっと多くの人に広めてほしい」とおっしゃっていたので、その点でまず私ができることとして、カンパをするとか、こうしてブログに書くとか、それはひとまずやったわけですが。
でもそれだけではない、何かをしたいと思います。これは、私のこれから4年間の目標の一つでもあります。
講演を聞いて「知ったつもり」になったり、仁藤さんや稲葉さんのように実際に今活躍している人と知り合いになることで「自分も活動したつもり」になったりはしたくないと、常々思っているのです。何か具体的に行動しなければ。
ただ、スカウトの人に対抗できるような活動をしていくためには、私だけではなく、あと何人か、colaboのような活動をバックアップしたり広げたりするために具体的に何か行動したいと思う人と知り合えたら一緒に知恵を出し合ってもっとなにかできるのではないかという気がします。
今までの経験上、こうして思いを発信すると案外すぐに仲間が見つかったりするので、まずは書いてみました。
そしてまずは私ひとりからでも何ができるか、引き続き試行錯誤、考えていきたいと思います。
仁藤さんたちはcolaboという団体を作り、繁華街にいたりJKビジネスなどで働いている若い子たちに声をかけ、相談に乗る活動をしています。
実際、若い子を取り巻く環境がどうなっているのか、街の状況を見て歩くスタディツアーもやっているということで、講演を聞いてからずっと参加したいと思っていたのですがなかなかタイミングが合わず、ようやく5月下旬に参加してきました。また、ちょうど街歩きに参加した1週間後に開催されたcolaboの活動報告会にも参加することができました。
仁藤さん自身が高校生の頃、家にも学校にも自分の居場所を見つけられず、都心の繁華街で寝泊まりした経験があったとのこと。そこでできた友人たちも同様に、親との関係がうまくいかないなど家に帰りづらい事情を持っているのだけれど、繁華街にいて声をかけてくる大人は、性的に搾取しようとする大人や、安い労働力として使おうとする大人ばかりだったそうです。女の子だと性産業、男の子だと本来ならば経験知識がないとできないような危険な労働に安く従事させようとしたり、あるいは犯罪に加担するようなことで働かせようとされるということです。
仁藤さんは、こういう「利用してやろう」というんじゃない、仁藤さんをひとりの人間として尊重してくれる大人に出会えるきっかけがあって、今はこうした問題を社会に発信する活動ができるようになっていると聞きました。
講演で聞いた話によれば、働いている子たちがお店のチラシを作る部分にもかかわるなど、やりがいをもって仕事ができるようなしくみがあったり、お店の人が話を聞いてくれる・相談に乗ってくれるということもあって、居心地のいい「居場所」となっていく面があるようです。
たとえばメイドカフェと聞くと比較的気軽に行ってみようかと思う人もいるかなとも思うのですが、働く側にとっても働き始める入口のハードルがとても低いのだと思います。女の子自身が「危険な目にあう可能性のある仕事」とは思わずに働き始める場合も多いのだろうと感じました。
JKビジネスの場合、客が女の子と一緒に散歩をするとかマッサージをするとかいうものだということなのですが、そこに「ハグをする」などのオプションがあったり、さらに性的なことをする裏オプションがあったりもするそうですし、客と女の子だけになる場面があれば性被害の危険は当然あるでしょう。
それまでその場が自分にとってやりがいや居心地の良さを感じられる場所だったら、そして学校や家庭や地域に居場所がないと感じている子であったら、たとえ被害にあってもなかなかその場所から抜け出すことができない場合もあるでしょうし、そこが大事な場所だと思っていた分だけ被害を受けたダメージも大きいものになってしまうであろうことは想像できます。
誰でも通ることのできる明るい繁華街の中で10代の女の子たちが客引きをしていて、道行く人はそれが景色の一部であるように当たり前に受け止めてしまっている―それが今の東京で繰り広げられています。
また、街には「アイドル」のDVD、アダルト系のDVDを売っている店があり、その中には明らかにどう見ても10歳にもなっていないこどもたちのDVDが売っています。パッケージを見るとその子たちは水着などを着て、性的と思われるポーズをとって写っています。しかし、一応は着ているので、児童ポルノとはみなされないとのこと…。
その子たちがもう少し大きくなって自分がさせられていたことの意味に気づいたとき、どのような打撃を受けるだろうかと考えるだけで許しがたいですが、それも、法的には問題ないと放置されているのが、今の日本の状況でもあります。
お話を聞いてから自分で注意して見ながら街を歩いてみると、実は街の中には女の子に声をかけるスカウトの人がいるということも気づいてきます。
街中にはところどころにホストクラブや風俗などの「高給アルバイト」の紹介のあるフリーペーパーが置いてあるので、家に帰れないからすぐに仕事をしてひとまずのお金を得たい人がすぐ手に取れるようになっています。
そして街中にはところどころにコインロッカーがあります。家出をしてきた子はコインロッカーに荷物を入れているから。需要があるから、よく見ていると街の中にちょいちょいコインロッカーがあるのです。
駅でもない、居酒屋や風俗店が雑然とある繁華街にちょいちょいコインロッカーがあるというのも考えてみれば不思議なことなのに、こうした状況を聞いてみるまで私は全然気づいていなかったことにも衝撃を受けました。
このような繁華街を歩きながら女の子たちの取り巻く環境を見て、そして私自身の人生を振り返ってみて改めて思うのは、私も(そしておそらくほかの多くの人も)こどもの頃から性被害の危険にさらされ続けている社会であるということです。
その子を本気で被害から守ろうという大人がいなければ、あっという間に巻き込まれてしまう社会だと思います。
私は小学生から高校生くらいまではよく痴漢の被害にあっていたし、大学生、社会人と進む中では今度は言葉を中心としたセクシュアルハラスメントの被害にあってきた経験があります。
「この程度のことは嫌でも我慢すれば済むことなんじゃないか」と言われたり思わされたりする経験もしながら、「でも本当にそうだろうか」と、女性に起こる性被害や女性の人権について学ぶ中で、「やはり、被害者が我慢して済ませるべき問題ではない」と私は思えるようになったけれど、それでも性的に不快なことを言われたりされたりしたときに明確に「それは不快だ」と言えるようになったのはほんのこの数年だし、それは議員になってからも何度も性的侵害を受けそうな不快な経験を繰り返しながら最近になってようやくだいぶ自分を守るすべを身につけられてきたように思います。
もっと小さいうち、若いうちは危険を未然にキャッチする力もまだ十分でないですから、自分自身で明確に自分を守ることはできないので、「自己効力感」を失った感じがして余計に傷つくのですが、私の場合は小さいうちは物理的に家に逃げ帰ることでそこをリカバリーできていたのだと思います。
ただうちの母は「被害にあうのはぼんやりしているあなたが悪いのよ」と言うような、典型的に二次被害を与えているタイプの人だったし、私に対する依存が強い人だったので、私が19歳の時に亡くなった母がもう少し長生きしていたら、私も「家は逃げ場所・居場所にならない」と思うようになっていたかもしれませんが。
それでもなんとかやってこられたのは、そのときどきで支えてくれる友人や周りの大人がいたり、「つらい思いをするのは自分のせいではない」という気持ちの土壌となる情報を得られるきっかけがあったりしたからだと思います。
こうした縁を得られるかどうかは本当に運でもあるとも思います。私と母の関係を思い起こしても、ほんとにしみじみ思います。
若くて人生経験もまだ少なく、辛いことから身を守るすべをまだ身につけていない人につけ込んでくる大人(それは性的なことだけではなくて、色々な面で)は残念ながら私たちの周りにもたくさんいます。
そうした搾取や攻撃の被害にあったときに人的サポートや情報がなく、立ち直れない打撃を負って自分の存在自体を肯定できないところまでになってしまうことは、ちょっとしたタイミングで誰にでも起こりうるのではないでしょうか。
まだ10代にもなっていないような子までもがその渦中に巻き込まれてリカバリーできない状態に置かれている現状を見過ごしてはいけないと思います。
そして、私が小中高校生だったころを振り返ると、私の級友にも本当はつらい気持ちを抱えた子がいたかもしれない、とも思います。でも当時の私にはそのことに気づくアンテナがまだなかったから、友人たちに対して何もできなかったということを心の痛みとともに感じます。だから今からでも私にも何かできないかと思います。
5月末のcolaboの報告会では、女の子たちが書いた文章もいくつか紹介されていました。児童相談所や施設の職員は仕事としての範囲内で関わっていると感じてそれに傷ついてきたことなども言われていました。
性産業ではスカウトの人やお店の店長が女の子たちに節目節目の良いタイミングで声かけをし、その子の性格に合ったお店に配置し、相談に乗り、励まし、役割を作るといったことをしているそうです。それに比べると福祉の専門職は女の子のいるところに出向いて声をかけていくことも少ないし、SNSなどで若い子たちが「つらい」と発信してもその声をキャッチできているわけでないし、スカウトの人たちに全然追いつけていない現状があるのだと、仁藤さんがおっしゃっていました。
スカウトの人に対抗して、若い子たちに友人として声を掛け合える関係を広げていかないと、居場所がないと感じる子たちはどんどん搾取されていく方向、つらい状況へと向かっていってしまう、と。
こうしたお話を聞き、スタディツアーにも参加して、私はそれからずっと、「私には何ができるのか」と考え込んでいます。
仁藤さんや稲葉さんは「まずは現状を知り、知ったことを周りに伝え、そして若い子たちを取り巻く現状をもっと多くの人に広めてほしい」とおっしゃっていたので、その点でまず私ができることとして、カンパをするとか、こうしてブログに書くとか、それはひとまずやったわけですが。
でもそれだけではない、何かをしたいと思います。これは、私のこれから4年間の目標の一つでもあります。
講演を聞いて「知ったつもり」になったり、仁藤さんや稲葉さんのように実際に今活躍している人と知り合いになることで「自分も活動したつもり」になったりはしたくないと、常々思っているのです。何か具体的に行動しなければ。
ただ、スカウトの人に対抗できるような活動をしていくためには、私だけではなく、あと何人か、colaboのような活動をバックアップしたり広げたりするために具体的に何か行動したいと思う人と知り合えたら一緒に知恵を出し合ってもっとなにかできるのではないかという気がします。
今までの経験上、こうして思いを発信すると案外すぐに仲間が見つかったりするので、まずは書いてみました。
そしてまずは私ひとりからでも何ができるか、引き続き試行錯誤、考えていきたいと思います。
- 2015-06-15
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